無責任賛歌
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| 2002年02月09日(土) |
ほーりつも人が作るもの/映画『まあだだよ』/『仄暗い水の底から』(鈴木光司・MEIMU)ほか |
あっ。今日から三連休か。 っても、明日休日出勤があるんで全然そんな印象がなかった。 三日休みがあって、最初か最後の一日が休みならまだ連休なのになあ、と一瞬思う。 でも、一日休めて仕事の準備を整えて、仕事が終わればまた休める、と考えれば、合間の仕事もまたヨシ……なわけないじゃん。
CSチャンネルNECOで映画『まあだだよ』を見る。 もちろん、黒澤明監督の遺作で、公開当時は劇場まで足を運んだのだが、改めて見返してみると、日常ドラマにもかかわらずセリフ回しが妙に時代がかっている。 特に香川京子のセリフの発声、どちらかというと舞台的でリアリティが感じられない。しばらくテレビにも映画にも出てなかったから、自然な喋りができなくなっちゃったのか? なんで注意しなかったかな、黒澤明。松村達雄の方は徹底的にしごいたくせに。 ……と考えて、ハッと気がついた。 いや、この映画、確かに内田百�里鬟皀妊襪砲靴討呂い襪�、彼の「伝記映画」を作るつもりなど黒澤明にはなかったのではないだろうか? 『どですかでん』以降の黒澤作品に、今一つリアリティが感じられなくなっている理由の一つには、色調の問題もある。 長年の撮影・編集生活ですっかり目をやられていた黒澤明には、「自然な色」をフィルムに再現することが不可能だった。 だから逆に毒々しい色を塗りたくるように映像を作り、それが必ずしも日常のリアルを必要としなかった『乱』や『夢』ではプラスに作用した。日常描写が中心になっているために錯覚してしまうが、それと同じ感覚でこの『まあだだよ』も作られているのではないだろうか。 『まあだだよ』の色調は『夢』などに比べると抑えられているが、かといって「リアルな」色調にはなっていない。霞んでいながらどこか明るい。部分的にその「色」が突出して現れるところもある。さながら『天国と地獄』の煙だけがカラーであったように、「突出」している。 それは例えば、愛猫・ノラをなくして憔悴した百�寮萓犬侶┝茲鬚靴燭茲Δ粉蕁覆い筺▲曠鵐箸砲靴討鵑世韻匹癲砲妨修錣譴討い襦I當未隆篤弔覆蕁△△鵑僻鷂充妥�なメイクはしない。しかし、黒澤明は先生の悲しみを表すのに演技だけでは足りないと考えたのだ。あの隈取は、百�寮萓犬虜埜紊痢峇蕎陝廚任△蝓△修慮紂�逆に百�寮萓犬呂匹鵑匹鵝崘鬚�」なっていく。 もちろんその「白」のイメージは、感情を殺ぎ落としていった果てにある「仙人」のそれであろう。 その意味で、晩年の黒澤明の演出スタイルは、ファンタジーに近いものになっていたと考えるべきだろう。
『まあだだよ』のファンタジー性を評するのに、ラストの夕焼け空を挙げる評論家は多いけれども、その少し前のシーンで、実はその「前フリ」のような奇妙なシーンが登場している。 それはもちろん「まあだ会」の一同が会する「祝祭」的な空間である。 集まった人々がただひたすら百�寮萓犬鮟吠,垢襪世韻痢�奇妙キテレツなシーン。そこに「誉められたい」黒澤明像を見出すのはやや浅薄な見方だ。 あれは、『どん底』の馬鹿囃子の反転であるし、『赤ひげ』における「歓喜の歌」でもある。また、『七人の侍』のラストの田植え歌でもある。『夢』のラストシーンの村祭が一番近いかもしれないが、要するにミュージカルのラストナンバーなのだ。 物語は、すべて最後の「祭」によってコトホギ、カムアガリさせられる。 映画自体を「祝祭」と見る黒澤明の思想がどんどん純化されて行った果てにあったのがあの「まあだ会」のシークエンスなのだ。 だとすれば、その前哨として歌われる『大黒様』のリフレインに、黒澤明が何らかの意味をこめないでいられるだろうか。 「大黒さまは誰だろう。それは君たちだ」 ノラを懸命に探してくれた弟子たちに、先生はそう言う。 しかし、「大黒様」とはいったい本当は誰だったのか?
以下に、『大黒様』の歌詞を引用する(多分もう著作権切れてるよな)。
一 大きなふくろを かたにかけ だいこくさまが きかかると ここにいなばの しろうさぎ かわをむかれて あかはだか
二 だいこくさまは あわれがり きれいなみずに みをあらい がまのほわたに くるまれと よくよくおしえて やりました
三 だいこくさまの いうとおり きれいなみずに みをあらい がまのほわたに くるまれば うさぎはもとの しろうさぎ
四 だいこくさまは だれだろう おおくにぬしの みこととて くにをひらきて よのひとを たすけなされた かみさまよ
ここに「禊」のイメージ、あるいは「キリストの奇跡」のイメージを見ることもできようが、黒澤明が信じたのはおそらく徹底的な「善意」だ。 黒澤明にとって「神」は、汚れをすべて取り去り、純化した「白」のイメージ、絶対の「善」の象徴だったのだろう。 映画本編で歌われるのは四番の一節まで。 「大国主命」の名は歌われず、そこで画面はフェードアウトする。 もちろん、「大黒様」は「神」にほかならないが、それは「大国主」などという一人神に収斂されるものではない。だからそこで歌を切った。 そして、「まあだ会」は、たくさんの「神々」が集うところとなるのだ。 ただひたすらに美しく、優しい人々の。 だから切ない。 それは夢だから。 まさしくファンタジーだから。 ……やっぱり映画は二度三度、繰り返し見るもんだね。 9年前、こんなふうにこの映画を見ることはできなかったから。
公開当時も思ったことだが、百�寮萓犬魃蕕犬襪里肋沼蔀M困任呂覆�、黒澤明自身であるべきだった。少なくとも、松村達雄には「百�里魃蕕犬襪里任呂覆ぁ∋笋魃蕕犬討�れ」と演技指導すべきであった。 なぜなら「先生」は「司祭」だからだ。 そして、映画に司祭がいるとすれば、それは「監督」以外にはいないからだ。 そこがちょっと惜しかったなって思うんである。
何気なくテレビを見ていると、FBSの島田紳介の司会の番組で、『絶対に訴えてやるゾ! 芸能人VS最強弁護士団爆笑法律バトル第4弾』ってのをやっていた。 こんなトラブルにあったらどうする? って、NHKの『生活笑百科』みたいな番組だけれど、アレを見てていつも思ってたのは、「この弁護士さんの判断ってホントに正しいの?」であった。 その点、この番組が面白かったのは、弁護士を四人並べていたことである。 つまり、どっちが勝つかってのが、弁護士さんの判断によって割れるのね(^^)。ある程度一致するんじゃないかって観測はほとんど外れて、全員一致の判断は数えるほどしかない。 やっぱり、法律って、アナがありまくりなのだね。
「夫が自分と結婚する前に整形していた。慰謝料は取れるか?」 これが意見が割れるんだよねえ。 「精神的苦痛を受けたんだから取れる」 「イイ男と一緒にいられてハッピーだったんだから取れない」 どっちがホントなんだよ、要するにウマイ弁護士に当たれば取れるってことかい。 しかし、ゲストのえなりかずきをサカナにして「ヘンな顔だから訴えてちゃ、えなりくんの立場はどうなる」と弁護士が言ったのには、妙に説得力があったな(^o^)。
「人に貸した車を、自分が使いたくなって、借主に黙って使ったので窃盗罪で訴えられた」 これがなんと全員有罪。 借主に一種の既得権が生じるらしいのな。 マジメに考えると理不尽だけれども、そのへんを誤魔化すつもりだろうか、借主をグラマーなねーちゃんに仕立てて「色香に迷った男が悪い」風に演出してるんだよね。これはちょっと、テレビ的過ぎてアザトイなあ。
「氷川きよしがコンサート中、最後の一曲を歌ってる途中で腹痛で退場。チケット代は払い戻してもらえるか?」 「やだねったら、やだね」を歌ってない段階なら払い戻してもらえるそうな。 ……ホントかよ。 どっちかっつーとトラブル避けるためにあえて返却してるって気がするけどな。
できれば「四人」じゃなくて「五人」にした方が奇数だからはっきり結論が出るのに、それをやらんのは「結局、法律はようわからん」ということだからなんだろう。 結論。何か問題が起こっても、すぐに諦めない。 ともかくゴリオシだろうが自分の主張を通せばなんとかならなくもない。 キマリってその程度のものなのよ。
ぼんやりしていて、アニメ『カスミン』を録画し損ねる。 今まで1話も逃さなかったのになあ。 チャンネル間違えちまったい。 NHKの番組はなかなかDVDにならんので、再放送を丹念に調べとかないと、二度と見られなくなりそうだ。 うー、くやしいよう。o(ToT)o
夜、11時から、某さんに誘われて某サイトでチャット大会。 今、その名前もサイト名もここで公表できないのが残念なのだが、時期が来ればこんな無意味な気遣いをすることもなくなろう。 いや、もう、気がついたら総勢25人が集まってるというとんでもないチャット大会。 ログが数秒置きにどんどこ下に流れて行くという凄まじさ、読むだけでも大変なのだが、参加している人たちはみな、気後れ一つせず、発言しまくり、ただの文字の羅列なのにまるでその場に人の姿が見えるほどの臨場感である。 これこそチャットの醍醐味か。 集まってこられた方も、中学生から四十過ぎのオトナまで、有名無名を取り揃え、多士済々、交わされる内容も、プライベートからオフィシャルまで、オタク話あり、えっち話あり(まあ♪)の、バラエティに富んでること。 にもかかわらず始まったばかりのオリンピックの話は一切出ない。 「メダル取りそこなった選手のコメントにしか興味はないですね」と書きこんだら、みなさんから至極同意を寄せられる。なんちゅーイジの悪い人ばかりが集まっていることか(^_^;)。 でも、オタクはやっぱりオリンピックなんか無視しなきゃあね。
中学生の女の子が「『ルパン三世・カリオストロの城』を知らない」と言えば、集まったオタクが一斉に教え出すし、「○○○ってなんですか?」と聞くと、その方面の方が懇切丁寧に教えるし。いいのか、オイ(^_^;)。
あまり詳しく中味を書けないのが残念だが、これくらいチャットが楽しいものだとは思ってもみなかった。 ときどきは今までもやってたのだが、おおハマリしそうな気配である。
マンガ、鈴木光司原作・MEIMU作画『仄暗い水の底から』(角川書店・546円)。 原作短編集から『仄暗い水の底から』『夢の島クルーズ』『漂流船』『海に沈む森』の四本をセレクトしてコミカライズ。 最初はいろんな人にマンガ化させてた鈴木光司作品だけれど、ここんとこはずっとMEIMUさんの続投だ。 確かに今までのマンガ家さんの中では一番うまくはあるんだけど、ホントに鈴木作品に合ってるかな? ちょっと表現が過剰だって気がするんだけど。 ごくありふれた日常が反転してしまうのが「恐怖」につながるんだから、日常の絵がそもそも気味悪いんじゃ、全然怖くはならんのである。 楳図かずおだって、普段の絵はごく普通の絵だぞ。 同じような理由で私ゃ御茶漬海苔が全然怖くないんである。無理にこわがらそうってのが、まるで琴線に引っかかってこない。 でも、「それなら日野日出志はどうなるんだ」って言われるとヨワイんだけども。まあ、あの人は特別特別(^^)。
『キネマ旬報 2月下旬決算特別号』、2001年度ベストテンの発表。 その詳しい選評を見たくて……というより、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』がどの程度まで食いこんでるかなあ、と思ってリストを見てみる。 もともとアニメに偏見のある雑誌だから、たいした期待もしてなかったけれど、24位と意外な健闘であった。 これはひとえに10点を入れた三留まゆみさん(早坂みけさんという名前を覚えておられる方はどれだけおられようか)のプッシュによるところが大きい。 コメントなど、「これを見ずにベストテンを語ることは『人生捨ててる』といっていい」。 いやあ嬉しいったらありゃしない(それにしてもこんなコメントを寄せるということはほかの評論家連中、見もしやがらなかったな)。 それにしても腑に落ちないのがSF評論家・翻訳者の大森望、『アニメージュ』にも「いいオトナがノスタルジーに浸ってていいものか」みたいなことを書いてたけど、ただの1点も入れてない。 じゃあ、何が大森さんの1位かっていうと、邦画が『千と千尋の神隠し』で、洋画が『アンブレイカブル』。 ……はあ? 『千と千尋』はまだわからなくもないが、全体でも66位(大森さんの10点がなければ130位。ほぼ最下位に近い)、読者投票ベストテンに至っては選外のあの愚作に満点を入れるぅぅぅぅぅ? あほだ。 『キネ旬』誌では数少ないオタク系の評論家だと思ってたのになあ。 『千と千尋』に一票も入れてない三留さんとちょうど真逆ではないか。 ……この二人の間に何かあったんかな? けど、これでわかった。 断言するが、大森望に映画はおろかSFを語る資質はない。 石上三登志と見識はごっつだ。 今後は大森さんの誉めるものは駄作、貶すものは傑作、そう考えて映画を見るようにしよう。 ……問題なのは翻訳本だよな。大森さんだから読まないってわけにはいかないし。もしほかの人が訳してたらもっと面白くなってたはずだって観点で読むことにしよう。先に五目くらい置かせるわけやね(^^)。
結果的に、邦画のベストテンは次の通り。
1『GO』 2『ハッシュ』 3『千と千尋の神隠し』 4『EURICA』 5『風花』 6『リリイ・シュシュのすべて』 7『まぶだち』 8『ウォーターボーイズ』 9『光の雨』 10『赤い橋の下のぬるい水』
……見てるの『千尋』だけやがな(-_-;)。 いや、見たいと思った映画ばかりではあったが、ことごとくしげが嫌って見に行けなかったのだ。 『キネ旬』の評論家連中も、ベストテンにこれだけ露骨に非エンタテインメントの作品ばかりを並べるってのは、偏ってるにしてもちょっと行き過ぎじゃないかって気はするが、それを避けまくるしげもやっぱり逆の意味で偏ってないか。 ホントにこれらの作品がベストテンに値するのかしないのか、見てない以上は何も言えないではないか。 「面白くもない作品を見たってしょうがない」と言い訳するかもしれないが、それこそ、そんなのは見てみなけりゃわからん。 以前はここまで外したりはしてなかったぞ。 どうも、しげの映画に対するアンテナ、最近鈍ってきてると言わざるを得ない。
2001年02月09日(金) お姫様を探せ!/アニメ『タッチ・CROSS ROAD 風のゆくえ』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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