無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年12月23日(日) 幸せを配る人/映画『アメリ』/『あひるの王子さま』2巻(森永あい)ほか

 今年最後の『コメットさん☆』第39回は、「サンタビトになりたい」の巻。
 打ちきり(多分全46話)が決まったってのに、作画陣が手を抜かずに作ってるのが嬉しいなあ。
 しかし、これだけ「近年稀に見る良質のアニメ」と言われつつも、結局『どれみ』に勝てなかったってのは(直接の裏番組じゃないけど) 、所詮「オトナが子供に見せたがる」アニメであって、子供はさほど魅力を感じなかったってことなのかなあ。

 ゲームギャザの別冊で『OTOMEX』というアニメ雑誌(女の子向けというキャッチフレーズではあるけれども、中身は実質、美少女アニメ専門)が発刊されたが、その第1号、既に『コメットさん☆』を「名作」として特集している。
 なんと12ページを割いて、名場面集、スタッフインタビュー、関連グッズ紹介などなど、既発のアニメ誌がおざなり程度にしか紹介して来なかった『コメットさん☆』の魅力を細部に渡って披露。メテオさんの小特集まであるんだから、これは嬉しい(あ、ちなみにウチのしげは、目を半開きにして悪巧みの微笑を浮かべているときのメテオさんに、顔がソックリです)。
 しかも、前田亜季のインタビューだけで見開き使ってるし。
 でもやっぱり人気がイマイチなのかなあと思えるのは、未だにムックが1冊も出てないってことなんだよねえ。この特集でも、「ムックが出来るかもしれないのでお便り下さい」なんて欄外に書いてあったりするんで、相当内部事情は苦しいのかも。
 ……人気が出てればなあ、スペシャル版で九重祐三子・大場久美子・前田亜季三人揃い踏みの実写版コメットさん復活編が見られるんじゃないかと期待してたんだが。

 「メテオさん恋の行方」編もクライマックス。
 てっきり、イマシュンの心はコメットさんが本命で、メテオさんは哀しい思いをするんじゃないかと思ってたけど、そうはならなかったのでホッとする。
 ムークから、イマシュンに作ってもらった曲が、実はコメットさんのためのものだった、ということを聞かされたメテオさん、いったんは彼とのイブの食事会を、コメットさんにゆずろうとする。けれど、どうしても彼に会いたい思いが募って、遊覧船のレストランに姿を見せる。
 悲しみをたたえた瞳のメテオさんに、イマシュンが言うのだ。
 「コメットさんは憧れの人。今度は君のために曲を作らないと」
 ……ああ、ガキのクセして女殺しなヤツ! オレだってそんなセリフ言ったことないぞ!(言ってたら気色悪いが)
 でもなあ、私がしげに似たようなこと言おうとしても、何を作ってやればいいと言うのか。歌は作れないし(作ったとしても自己陶酔的なものしか作れねーし)、「君のためにエロマンガを描いて贈るよ」じゃバカだし。
 ああ、考えてみたら、恋愛の引き出しが極端に少ない男なんだよなあ、オレって。


 今日はゆっくり日記の更新が出来るかなあと思っていたら、昼過ぎ、いきなり練習に出ていたしげから電話があって、「今日、よしひと姐さまがお泊まりするから部屋片付けといてね」だと。
 何でも舞台用の小道具の作成が間に合いそうにないので、急遽泊まりこみで作ることにしたのだとか。
 ったって、ほとんど床面積の見えないこの部屋をどう片付けろと言うのか。
 ブツクサ言ってても仕方ないので、チビチビと片付けているとあっという間に夕方。


 『サイボーグ009』第11話「幻影の聖夜」。
 部分的に原作の「赤い靴編」のイメージを取ってはいるものの、基本的にはオリジナル。
 初期の原作には各サイボーグキャラクターの人間性を掘り下げた話は少ないから、放浪編にかこつけて、後期の短編からそれらしいエピソードを取り出してきて、先に紹介しようってんだろう。新らしい視聴者にサイボーグキャラに親しんでほしいという措置かな。
 でもまあ、フランソワーズにライバルがいるってのと、「いつまでも踊っていたいという幻想の中にいる」(原作ではフランソワーズではなくライバルの方)というエッセンス的なものしか原作からは取り出してない。
 フランソワーズの兄のジャンも、原作で登場しているのは「誕生編」と「時空感漂流民編」の2編のみだが、今回のキャラデザインは「誕生編」をベースにしている。

 フランスの港に立ち寄ったドルフィン号から降り、つかの間のクリスマス・イブを楽しむフランソワーズ。
 生き別れた兄・ジャンや、バレエ団からブラックゴーストに誘拐された過去を思い出しているうちに、フランソワーズは、何者かの気配を感じ取る。そして彼女は、かつてのバレエのライバル、ナタリーに出逢う。
 数十年が過ぎているというのに変わらぬ姿の彼女に。
 この「変わらない姿」って設定も、石森の短編『昨日はもうこない、だが明日もまた……』からのインスパイアだろう。
 原作のあちらこちらから設定を抜いてきてツギハギして、結局、『009』とは別の物が出来あがったという印象だ。
 しかも、第2話ほどひどくはないけれど、やっぱり作画が間に合ってないし。
 幻影のナタリーに向かって、レイガンを撃つフランソワーズ。
 でもレイガンから光は出てないし、ナタリーもそれを避けるんだけれど、体を横に動かすだけで、光の軌跡はない。言葉にするとちょっと伝わりにくいと思うけど、相当マヌケな映像だぞ、これ。
 ……DVD発売のときには第2話ともどもちゃんとリメイクするんだろうなあ。してもらわないと困るよなあ。
 ちなみに『009』DVD情報は以下の通り。

 DVDサイボーグ009『バトルアライブ1〜誕生〜』LIMIT(仮)
 (完全初回生産限定板)AVBA-14296 定価7000円(税抜)
 2002年3月27日発売予定
 特典として「サイボーグ009島村ジョー」アクションフィギュア(ADI限定カラー)を封入。

 ……まさか、30分1話で7000円取る気か……?
 フィギュアなんぞ要らんから、適正価格で売ってくれ……って、多分、DVD制作も間に合わないから、時間稼ぎなんだろうなあ。


 7時過ぎにしげとよしひと嬢、迎えに来る。
 せっかくだから、みんなで映画を見に行こう、ということになったのだ。
 ところが、何を見に行くかがなかなか決まらない。
 「『スパイキッズ』か『シュレック』にしようかと思ってたんだけど……」としげ。
 「で、どっち?」とよしひとさんに聞いても「うーん、どっちでも」。
 で、どっちにするのかが、決まらないんだな、これが。
 ハッと思い出して、「そういえば『アメリ』見たがってなかった?」とよしひと嬢に聞く。時間を調べるとなんとか間に合いそうだ。
 キャナルシティに行く予定を、急遽博多駅に代えるが、さっきまでしげたち、博多駅で買い物をしてたそうなんである。
 なんだ、だったら迎えに来てもらうんじゃなくて、私の方が出かけて行けばよかった。

 シネリーブル博多駅は、拡大上映で1・2、2館とも『アメリ』を上映中。
 そんなに期待されてたのか『アメリ』。
 ジャンピエール・ジュネ監督作品を『エイリアン4』でしか知らない人はちょっと不幸かも。ああいうハリウッド・メジャーに飲みこまれちゃうと、どんな個性派監督だって、その持ち味を減殺されてしまう。できれば『デリカテッセン』あたりを見て評価してほしいものだ。
 アメリカ製のコメディと違って、フランスのコメディは同じようなストーリーであっても、キャラクターの描き方が相当違う。ひとことで言えば、アメリカ製のには作り物めいたワザトラシサがあるんだけれど、フランス映画には、どんなにヘンなキャラを描いてもどこかに「生活感」が感じられるのだ。
 出だしの小気味よさといったら、ここ十年私が見てきた映画の中でも出色の出来だ。
 冷たいお父さん。
 好きなことは工具箱をひっくり返して、中の道具を全部きれいに磨き上げ、また元に戻すこと。
 神経質なお母さん。
 好きなことはバッグをひっくり返して、中に入ってるものを全部確かめて、また元に戻すこと。
 そんな二人の間に生まれたのが、空想好きなアメリ。
 好きなことは、不思議な動物とお話しすること。
 金魚の“クジラちゃん”と仲良くすること(たまに自殺未遂するけど)。
 両手の指先にラズベリーを差しこんで、はじからパクパク食べること。
 クレーム・ブリュレのカリカリの焼き目をスプーンで壊すこと。
 サンマルタン運河で水切りすること。
 そして、周囲の人々を観察し、想像をたくましくすること。
 つまりはアメリはフランスの“不思議ちゃん”なのである。
 こういうコミュニケーション不全の不思議ちゃんのリアリティを創作するってのはなかなか難しいものだけれど、フランス映画はそういう「ちょっとヘンな人」を描くことにかけては世界一なんじゃないかってくらいに上手い。
 それはもしかしたらフランス人はヘンなやつばかりってことなのかもしれないな(^^)。

 だから、アメリの周囲の人たちもみんなヘンな人たちばかり。
 モンマルトルのカフェ“ドゥ・ムーラン”のマダムは元サーカスの曲馬乗り。
 煙草売り場のジョルジェットは鬱病気味。
 骨をポキポキ鳴らすのが好きなウェイトレスのジーナ。
 ジーナにふられて嫉妬でストーカーになった常連客のジョゼフ。
 夫が浮気相手と南米に逃走して事故死しているアパートの女管理人。
 アーティチョークを宝石のように扱う食料品店のノロマなリュシアン。
 一生をルノワールの贋作製作に捧げる“ガラス男”デュファイエル老人。
 もう、こいつらが次から次へと紹介されるたびに、ワクワクしてくるんだよなあ。

 「群像劇」というジャンルがある。
 ゴーリキーの『どん底』あたりが代表的なヤツだけれど、特定の主役を作らず、特定のドラマも作らず、ただある特定の場所、ある特定の時間の中での人間模様を描く。
 ただたくさんの人間が出てくるってだけじゃないのね。それぞれの人物にそれぞれ別々のドラマがあるのが特徴。だから『渡る世間は鬼ばかり』みたいな、キャラクターが全てが橋田壽賀子の傀儡でしかないような駄作は「群像劇」じゃないのだ。
 一本筋を通すキャラがいたっていいんだけれども、ともかく出てくるキャラは全員が主役。そうでなきゃならない。黒澤明の映画は(特に山本周五郎原作のは)、『赤ひげ』も『どですかでん』も見事な群像劇だったねえ。
 で、『アメリ』なんだけれども、ふとした偶然で、アパートの秘密の場所に隠されていた40年前の玩具の小箱を発見したアメリは、それを元の持ち主にこっそり届けてやる(このコッソリってところが、いかにも対人恐怖症なアメリらしいところ)。
 持ち主が「奇跡が起こった!」と大喜びしたことで、アメリがすっかり勘違いしちゃうんだね。自分の人生の使命は、不幸な人々に奇跡の幸せをこっそりもたらしてあげることだと。
 もちろん、それは一般的な感覚で行けば、「おせっかい」でしかないんだけれども、そのことにアメリは気付かない。そしてそのことが、かえってアメリの心を傷つけちゃうことにもなるんだけれど……。

 何がいいって、このアメリを演じるオドレイ・トトゥ、この新人さん(モデル出身だそうな)が実に不思議ちゃんの雰囲気出してんのよ。
 ショートボブの髪に長身の猫背。
 美人……かもしんないけど、基準からはちょっと外れた感じの彼女が、首を突きだして、ニコッと笑う(しかし、全編通してこの子が喋るシーンがムチャクチャ少ない。このへんもリアルだよなあ)。笑うだけで、次の瞬間、「何かが起こるかもしれない」という予感を感じさせるんだよなあ。

 さて、「人を幸せにしよう」というアメリにも気になる男の子が出来た。
 遊園地のお化け屋敷とセックスショップで働くニノ(実は幼馴染)。
 しかも彼には、スピード写真のブースのまわりに落ちている破り捨てられた写真を集める趣味がある。
 こんなヘンテコな設定、よく思いつくなあ。
 つまりは、ニノって、フランスのヘンなオタクなんである。
 ……セバスチャンか(^_^;)。って、ホント、セバスに雰囲気似てんだよ、細くて地に足がついてない感じで、演じてる俳優さんもそのまんま。
 向こうのオタクって、やっぱり日本の「メガネデブ」みたいに、オタクになりやすいパターンってのがあるのかなあ。
 さて、彼に告白できないアメリは、偶然手に入れたニノのコレクションブックを使って、彼との奇妙な鬼ごっこを始めるんだが……。

 その顛末はぜひ劇場で(あるいはビデオで)御覧頂きたい。
 特にオタクな人々には「オタクにだって、オタクな恋人が出来る(ことだってある)んだ!」というささやかな希望を持たせる映画になってます(^^)。
 あ、なんだ。しげのことか。

 よしひと嬢も、『アメリ』はお気に入りのご様子。
 滅多にパンフを買わないよしひと嬢が帰りにしっかり買っていた。
 しげはというと、疲れていたのか珍しくも上映中はほとんど爆睡。
 どっちかっつーと、予告編で流れていた三池崇史監督のミュージカル・コメディ『カタクリ家の幸福』(あの『クワイエット・ファミリー』のリメイクね)の方に興味が移っていたのだった。


 帰宅して、よしひと嬢に、先日プレゼントに貰った『耳に残るは君の歌声』のブランデーを差し上げる。
 私は酒が飲めないので、こんなふうにたまにお酒が手に入ったりしても、たいていは死蔵しちゃうことになるか、お客さんに振る舞うことになる。
 しげも、宴会だと際限なく飲みまくるが、ウチでは一適も飲まない。
 おかげで、いったい何年前のか分らないワインとかもウチにはあるんだが、ホントにああいうの、腐ったりしないのかなあ。酒には詳しくないんでわかんないんだけども。


 よしひと嬢、『サイボーグ009』をしばらく御覧になってなかったというので、7話あたりから連続で見る。
 原作ファンの立場からすればちょっとどうかな、と文句つけたくなる出来の作品も多いんだけれども、意外と『深海の悪魔』『オーロラ作戦』なんかもウケたりしている。
 もう、若本規夫さんが「ザァァァァンブロウゾ!」なんて思いっきり溜めて演じてるのなんか、笑われちゃったものなあ。
 まあ、笑うのも仕方ないけど。


 マンガ、森永あい『あひるの王子さま』2巻(角川書店・420円)。
 まー、なんちゅーか、救いよーがない展開になってるねー。
 ギャグなのに。
 チビでブサイクでオタクだった麗一くん、魔法で美少年になりはしたものの、憧れのゆみこちゃんに告白できないまま、顔の不自由なリカコ先輩には言い寄られるわ、お祓いされてゆみこちゃんには近づけなくなるわ、挙句の果てに、実は血の繋がりがないと判った蘭ねーちゃんに犯される始末。
 ……ギャグのはずなのになー(^_^;)。
 これで蘭ねーちゃん(どーでもいーが『コナン』と紛らわしいな)が妊娠でもしたらどうするんだろう。
 よくある少女マンガのパターンなら、素直にブサイクに戻った麗一とゆみこちゃんがカップルになるってハッピーエンドがセオリーなんだけれども、どうもそう簡単にはいかないような感じなんだよなあ。
 さて、この先どんな悲惨な状況が麗一くんを待ち受けていることか。
 ……「なし崩しに、リカコ先輩とも関係持っちゃって、そのことがゆみこちゃんにバレる」に千点(^o^)。


 マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』3巻(講談社・440円)。
 えーっと、作中に登場する暗号文書、「暗号技術も発達してない戦時中の超単純な暗号」とかタワゴト言ってるけど、いくらなんでも「いろは」を置換しただけの小学生にも解けるようなものは採用してません。
 この天樹とかいう原作者は、戦時中の知識がないのか、それとも読者のレベルを低く見積もってるのかどっちかわからんけど、こんな「有り得ない」暗号なんか持ち出された日には、「この暗号そのものが偽文書である」なんて穿った見方しちゃうじゃないか。
 この一歩間違えば詐欺に近いトリックに先鞭をつけたのは、あの高木彬光だったりするんだけれども、森博嗣や藤岡真も実は似たようなことをやっている。しかもずっと下手な形で。彼らのミステリをマトモなミステリとしては評価できないのは、この「現実的には有り得ない」ことを「小説の上では有り得ること」としてキチンと展開してないせいだったりするんだよね。いっそのことSFミステリにしてしまえばスッキリするのにどうにも中途半端なんである。
 で、『Q』に話を戻すと、「神隠し」のトリックもどうも大坪砂男の『天狗』のパクリっぽいんだよなあ。どっちのトリックも4巻で真相が明らかになるんだけれど、私の予想がいい意味で裏切られることを望みたい。
 まあ、ムリだろうけど(^^)。


 マンガ、高円寺博原作・永井豪とダイナミックプロ漫画『まぼろしパンティ』(笠倉出版社・1890円)。
 すみません、こんなもんまで買ってます(^_^;)。
 『けっこう仮面』の続編で、月刊少年ジャンプに連載されてたのは1981年のこと。ギャグ漫画家としての永井豪はもうこのころは半死半生の状態で、「枢斬暗屯子男」なんて、当時だってトホホなギャグでしかない。
 ドカベン、がきデカ、パタリロ、ブラック・ジャック、リンかけ、翔んだカップル、ダッシュ勝平などのパロディも、これで笑ってくれってのはちょっと読者に難行を強いるようなもの、と言いたいくらい芸がなくてつまらない。
 にもかかわらず、当時ついつい読んでしまっていたのは、ひとえに私が若かったからなんである。
 ……いいじゃんかよう、恥ずかしい過去の一つや二つ、だれにだってあるってばよう。
 しかし、イマドキの若い人には、このもとネタになってる『まぼろし探偵』ってマンガ自体、わからないんだろうねえ。つーか、作者の桑田次郎の名前すら知らないんだろうなあ。
 隔世の感あり。

2000年12月23日(土) 天皇誕生日スペシャル/『本格推理マガジン・絢爛たる殺人』



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