無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年09月09日(日) 見え透いたウソにすがるココロは/DVD『ウルトラマンティガ THE FINAL ODESSEY』

 日曜は朝寝することが多かったけれど、今日はやっと7時に起きることができた。『パワーパフガールズ』を見るのも久しぶりだ。
 今日は「もっとオモチャを」「トゥイッギーを守れ」の二本。

 朝、目覚めるとガールズの部屋の中はオモチャだらけ。けれどそれが全部オモチャ屋から盗まれたモノと知ってビックリ! なんと犯人は夢遊病のユートニウム博士だった!
 そこでガールズは博士を逮捕し……ないで、なんと博士に欲しいオモチャを伝えて、もっと盗ませ……って、おいおい、子供に犯罪を奨励してるのか、このアニメ(^.^) 。
 子ども番組のモラルに厳しいアメリカでヒーローが悪いことする展開が赦されちゃうってのは(後で反省するけど)、いったい規律が厳しいんだか緩いんだか。
 ハカセが銃で蜂の巣にされるときの警官の数がやたら多いのは、『俺たちに明日はない』か『ブルースブラザーズ』の影響だろう。スローモーションで倒れていくところはもちろんサム・ペキンパー&『七人の侍』。全く、相変わらず意表を突くパロディをやってくれるもんだ。

 幼稚園のペットのハムスター、トゥイッギーの世話をする当番になった、ミッチ・ミッチェルソンはとんでもないイジメっ子。ガールズの目を盗んでトゥイッギーを虐待。でもトイレに落ちて突然変異を起こし(どんなトイレだったんだ)巨大化したトゥイッギーに、今度はミッチが襲われるハメに。
 動物巨大化ものはアチラのB級SFに腐るほど出てくるが、ハムスターをでかくするというのは、なんとなく『うる星やつら』の「ツバメさんとペンギンさん」を思い出させるなあ。アニメ化されたときの脚本は、金子“ガメラ”修介だったけど、もしかしてパワパフのスタッフがホントに見てるかもしれないな。


 『仮面ライダーアギト』、死んでるわきゃないと思ってたギルス、真魚ちゃんの超能力で(だからどういう能力なんだかよくわかんね〜よ)やっぱり蘇生。
 でも、ギルスになった途端に真魚ちゃんを助けに来るってのは、自分を助けてくれたのが誰か知ってたってことなのか? それとも謎の青年に操られているのか?
 青年が呟く「この世にはアギトなるものが必要なのだ」というコトバの意味はなんなのか。なんだか進化の過程で枝分かれしていったミュータントたちを戦わせ、行き残るべき者は誰なのかを決めるって展開になりそうでヤだなあ。
 ……どうもこのあたりの思わせぶりが、『地球へ……』や『エヴァンゲリオン』とかぶって来るんだよ。


 『コメットさん/タンバリン星国の姉弟』。
 ここでマメ知識(^.^) 。
 「姉弟」は「きょうだい」と読む。
 男だろうが女だろうが、「兄弟」「姉妹」「兄妹」「姉弟」、全て読み方は「きょうだい」。「しまい」なんて読み方は戦後に流行した読み方なんだよね。もちろん「なんで女どうしなのに『きょうだい』なんて読ませるんだ」ってアホなことで怒った連中のさしがね。文化ってのはそんな一義的な見方で変えちゃイカンのよ。
 そんなことするから、人が人を差別してきた歴史までが忘れ去られていくのだ。
 今回の物語、コメットに憧れて地球に来た姉弟が、新しい学校生活についていけずに差別されるって話なんだけど、明らかに「帰国子女」の問題を扱ってる(コメットさん自身は、星国でもう学校を卒業してるので、地球の学校には通わなくていいというのはうまい設定だ。……なぜそれが通用するんだという疑問はあるが)。
 現実にある民族・人種差別などを、「宇宙人と地球人」というアナロジーとして描くっていうのは、今までにも『ウルトラマン/故郷は地球』『ウルトラセブン/ノンマルトの使者』『帰ってきたウルトラマン/怪獣使いと少年』などで使われてきた手法なのだけれど、実は私は、基本的にはあまり好きじゃないのである。
 ぶっちゃけた話、これって、アナロジーがアナロジーになりきれなくて露骨になっちゃう嫌いがあるのね。ドラマを作る上では、なかなか諸刃の剣なのである。『も〜ッとおじゃ魔女どれみ』の最初の数話でもこの問題を扱っていたけれども、少女モノアニメで描くにゃ重いんだよねえ。適当なキレイ事で終わらせられるものでもないし。
 案の定、1話では結末をつけられなくて、来週に続いちゃったが、うまい結末つけられるのかなあ。
 それにしても、もうコメットさんも24話か。もう半年にもなるが、レベルダウンしてないのは嬉しいなあ。視聴率も必ずしも振るってないみたいだけど、一応3クール目には入るようだ。そろそろDVD出してほしいが、広告を全然見かけないぞ。予定はないのか。


 今日から練習には参加しなくなったので、なんとか体を休められる。
 と言っても、洗濯や台所の片付けは残っているのだ。
 部屋の掃除とゴミの取りまとめもしておきたいが、そこまでは手が回らない。
 ……だからしげがちょっと手伝ってくれるだけでも助かるんだけどなあ。朝起きて、出かけるまで、何時間もあるじゃないか。その間ぼーっとしてるだけってのは、どういう了見だ。
 別に妻に家事をさせるために結婚したわけじゃないし、もともとないモノねだりだということもわかっちゃいるが、せめて「ごめんね」の一言ぐらいはほしいぞ。
 しげは『全員集合』の志村けんと桜田淳子の夫婦コントがやたらと好きで、「私のこと愛してないのね?!」と私にしょっちゅう振ってくるのだが、仮に「そんなことないよ、愛してるよ」なんて答えてやったところで、ならば、と働き始めるわけではないのである。
 そんなんじゃ、答えてやるだけムダじゃないか。
 それよりは「いつもいつもすまないねえ」とでも振ってくれたほうが、まだ返事のし甲斐があるというものだ。
 ……いや、病人の看病してる気分にならなきゃやってけませんって。

 日記を一気に更新させようとフンバッテいたのに、あと一行、というところで、突然「わお〜ん」と音を立てて、「不正操作ガアリマシタ。コノぷろぐらむヲ強制終了シマス」のコールとともに、日記が、ぱあああっ……と消える。
 ……たまにあることなんだけど、原因がいつも不明だ。ヘンなことした覚えなんか全然ないのに。
 ちょっと、頭が白くなって、パソコンの前から離れ、しばらく昼寝。
 気分転換しないと、もう一度取りかかる元気が起きないのであった。


 今月号の『アニメージュ』と『ニュータイプ』、ようやく10月からの新番組情報。
 アニメオタク向けには『まほろまてぃっく』や『Hellsing』、『フルメタル・パニック』『X』『ヴァンドレッド セカンドステージ』とかがあるのだけれど、どうも心引かれるものがない。
 『まほろ』なんか、あの『王立宇宙軍』の山賀博之氏による(というか、“公式には”これが多分、第2作だ)初のテレビシリーズだというのに、かわいいメイドさんが異星人と戦うって、なんだかありきたりな設定。
 もっとも、フタを開けてみなけりゃ出来は分らないし、とりあえずこれ一本くらいはチェックしとくかな。OP演出だけだけれども、庵野秀明もアニメに帰ってきたみたいだし。
 同じGAINAX制作なら、鶴田謙二と山賀博之が組む『アベノ橋魔法☆商店街』のほうが意外に化けるかも。
 もっとも、キャラデザインのツルケン、脚本のあかほりさとるに「巨乳のメガネっ娘を描け」と言われて苦労してるらしいが(^o^)。……しかしこれだけ接点のないスタッフが協力してテレビシリーズ作るってのも滅多にないよなあ。大ゴケする可能性も大だが。

 個人的には『サイボーグ009』と『ヒカルの碁』が一番の楽しみなのである。ただし傑作が出来るだろうという確信があるわけではないが。
 期待はあるが、両作とも不安要素だってかなりあるのだ。

 『009』、誕生編から天使編(完結編)までをアニメ化すると嘯いてるが、何年かけるつもりだ。もう来月から放送だというのに、未だにキャスティングが発表されてないのは、やはり「難航」しているのだろうか。
 映像化において最も困難な点は、やはり「黒い幽霊」をどう扱うかではなかろうか。実際、冷戦構造が消えたとは言え、「死の商人」の存在が消えてなくなったわけではない。より「合法的な」形に変貌して存続している分、タチが悪くなっているとも言えるのである。正面切って扱わせてくれるほど、テレビの制約が緩やかになっているとは思えない。
 既に第一話、島村ジョーの設定が、原作の「少年院脱走」から「無実の罪で地裁に護送中に脱走」と、ソフトな形に変えられているのである。
 「ベトナム編」は、「中東編」はどうなるのか。「移民編」は既に原作すら「ミュータント」の設定が抹消されている。スカスカの、お茶を濁したような内容になるなら、アニメにしないほうがいいとは思うが、打ち切られるのもいやだしなあ。
 作画の紺野直幸、今度は『キカイダー』の時より動かしてほしいぞ。

 あと、『バビル2世』や『キャプテン翼』の再アニメ化まであるなあ。
 こんなのは志がまるで感じられない分、“今更”感が強すぎる。
 『バビル』、主役の名前が原作では「山野浩一」だったが、今回は「神谷浩一」に変えられている。実在の山野浩一からクレームでもついたかな。でも「神谷」はねえだろう。神谷明は許可したのか。

 いったいいつ出来るんだとヤキモキしていた『機動警察パトレイバー』(廃棄物13号)、制作をマッドハウスに移し(『鉄腕バーディー』の流れなんだろうなあ)、ようやく始動とか。
 ……2002年公開って、時代が追いついちゃったじゃないか(^_^;)。
 さすがにこれも今更だなあと思うけど、「とり・みき脚本」の一点のみで期待してしまうのである。


 DVD『ウルトラマンティガ THE FINAL ODESSEY』。
 すごくつまんないかと思ったら、ストーリーとしては『ウルトラマンコスモス』よりスッキリしていて駄作と貶すほどではない。
 太古に滅びた古代都市ルルイエの三巨人が現代に復活、かつての仲間だったウルトラマンティガを再び仲間にし、地球を征服しようとする……。
 平成ウルトラマンシリーズが実はクトゥルーものだったって設定にはのけぞったし、三巨人がティガを仲間に出来ると簡単に思いこんでるあたり(ティガを復活させなきゃ、地球征服は可能だったろうに。自分で自分の敵を蘇えらせてどうする)、脚本上の欠点は多々あるものの、役者がみんな手を抜かずに演技していることが何より好ましい。
 特撮モノに恋愛を絡めるのは、『ゴジラ』などでは失敗するけれど、『ウルトラ』シリーズでは、ヒーロー自身に運命をしょわせる方法として、たびたび使われて成功してきた。
 ダイゴとレナにかつてのダンとアンヌを重ね合わせて見た人も多かろう。更に今回、かつてのティガの恋人、カミーラ(芳本美代子熱演!)が登場、恐らくウルトラシリーズ初の「三角関係」が描かれる(^o^)。
 レナが「カミーラって誰?!」ってヤキモチ焼くあたりなんか、一歩間違えば失笑ものだけれど(いや、失笑したっていいけど)、吉本多香美がかわいいから赦す(^^*)。
 ……でも、これで泣いたってのはちょっと青春のころに何かを起き忘れてきちゃった人なんじゃないかな。


 練習から帰ってきたしげに、役を降りたことをみんなにちゃんと伝えたかどうかを聞く。
 「言いはしたけど、詳しくは説明してない」と、相変わらず煮えきらない返事。
 「オレが抜けるって理由、なんて説明した?」
 「『私とは一緒にやれないから』って言ったよ」
 ああ、まただ。
 こいつ、絶対、「自分が迷惑かけたから」とは認めたくないのだ。
 モノをなくせば、「見つからなかった」(「見つけられなかった」だよ)。
 何かを壊したり割ったりしたら、「壊れた」「割れた」(なぜ自分が「壊した」「割った」と言えないか)。
 予定を忘れたら黙りこむ(「忘れた」だけは自分に責任が掛からないような言い換えが効かないから)。
 全て、自分に責任が掛かることを回避しようとするのだ。
 プロデューサーがこんな「逃げ」ばかり働くヤツだから、私は一緒にはやれない、と言っているのに、やっぱり何一つ反省していない。
 「……みんなはそれで何か言ってたか?」
 「別に」
 つまりみんな無言だったってことか。
 少なくとも、しげの言動は、ちょっと眼はしの効く者ならば、ウソとゴマカシと自己弁護で成り立っていることくらい気づくはずである。
 ……というか、気づけよ。
 何の件でもいいが、思い出してみればいい、しげもこれまで何度となく失敗は繰り返している。そこで素直に「謝った」ことがあったか? 「しまった」とは言っても「ごめん」とは言っていないぞ。
 そこにしげの「欺瞞」を発見できいていたなら、今回の件でも、反応の一つくらいは返したってよかったはずだ。
 しげを責めるのでもいい、私を責めるのでもいい、いや、責めないまでも質問の一つくらいしないで、真剣に芝居を作ろうとしてると言えるのか。
 ……真剣、というのは別にクソ真面目にってことじゃない。芝居は「遊ばないと」出来ないものでもある。
 ただ、ふざけて一人よがりな遊びをしたところで、客は乗っちゃくれないのだ。「真剣に遊ぶ」、その心構えがないと、他人から見て楽しい芝居になんかなりゃしない。
 しげの最大のウソは、芝居がウケないのを「自分たちの実力がない」と口では言いながら、本心では「客に見る眼がないのだ」と思っているところだ。なぜって、ならば当然考えて然るべき「どうしたら実力が伸びるのか」ってことについて、しげは今まで一度も語ったことがないのだもの。
 そういうことを指摘する者が誰もいないということは、結局、メンバーのみんなもしげと同じ穴の狢だってことだ。……否定できないよね?
 前から何度も言ってるが、脚本の協力や撮影くらいなら付き合ってもいいけど、それ以上は私に要求しないでほしいのよ(みんなもどうして脚本書こうとしないかね)。
 これでも私ゃやんわりとした指摘しかしちゃいないんだけどね、「ああ、自分たちもまだまだだな」と思えるほど、芝居について真剣に取り組んできたとは言えないでしょ?
 私にはみんなが目の前の「なにか」から(自分自身のコトだけどね)常に目を逸らしてるようにしか見えんよ。

 自分の失敗を自分のせいだと思える程度のオトナになれたらいつでも呼んでね。そのときは過去のことなんか気にせずに裏でもなんでもやるから。


 テレビで、プレステ2の『ガンダム』の新作CMがオンエアー。
 これがまあ、滅法面白い。
 路上で携帯電話しているサラリーマン、ふと向こうを見ると、ガングロ、超デブのコギャルがこちらに向かって走ってくるのに気づく。
 「……まさか」
 よく見ると、デブの向こうにもう一人のデブ、やっぱりガングロ。
 「……まさか!」
 更にもう一人のデブが……!
 「まさか!」
 走りぬける轟音とともにカットバックされる「黒い三連星」!
 ……無残に路面で踏み逃げされたサラリーマン。
 ああ、久々に「傑作」と言えるCMを見たなあ。
 でも、このジェット・ストリーム・アタック、さいとう・たかをの『無用ノ介』にも出て来たんだけれど、最初に考えついたの誰なんだろうね?


 しげが突然、「デートに行こう」と言い出す。
 「なんだよいきなり」。
 「来週、きらら博に行くっちゃろ? だからその前にデートがしたくなったの」
 「……意味がわからん。きらら博に行くのがお前とのデートだろ?」
 「だから、『きらら博に行く』っていう目的が主なんじゃなくて、『デートが主』ってのがしたいの」
 「……デートってのは目的地にどこかにいっしょにいくことで、『デートが目的』ってのはない」
 「ただ、なんとなく目的地を決めないでブラブラしたいの!」
 「目的地を決めないとどこへも行けないじゃないか!」
 言いたいことはわからなくもないが、それこそしげはドラマの見過ぎだ。お前がやりたいのは「逃避行」であって、「デート」じゃないよ。
 何が悲しゅうて、全てを捨てて北へ(とは限らんがなんとなくそんな雰囲気)行かねばならんか。……温泉に行くくらいでガマンせいや。
 

 深夜、CSファミリー劇場で『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』見る。
 もう何度見たか分らないが、多分、これが私が劇場で直接見た最初のガメラ映画。というか、最初に見た「映画」かも知れない。
 うーむ。ここから私の転落人生は始まっているのか(^_^;)。
 昭和41年ってーと、私ゃまだ3歳だよ。しかし、その殆どのシーンをしっかり覚えてるんだから(テレビで放映されるたびに見ているからだとしても)、当時の私がどれだけガメラにハマっていたか、わかろうというものだ。
 一般的には次作の『ギャオス』の方が人気は高いが、映画としてみた場合、怪獣を倒すために次々と作戦を繰り出すというフォーマット、その作戦自体の奇抜さ、という点において、第一作の『大怪獣ガメラ』とこの『バルゴン』とは、優に東宝『ゴジラ』シリーズをも凌駕しているのである。……まあ、バルゴンの卵が南洋から日本に持ち込まれて、それを取り戻しに現地の女性が来日するって設定は『モスラ』の真似っぽいけど。
 カラー映画にもかかわらず、夜のシーンばかりで怪獣の輪郭がよく見えず、海外興行では不評だったということであるが、夜だからこそバルゴンの冷凍光線(と当時は言ってたけど、光線じゃないよな。霧だよ霧)や悪魔の虹が映えて見えたのである。そのコントラストが醸し出す幻想的かつ恐怖をも感じさせる特撮は今も色褪せてはいない。……平成ガメラでも、せめてラストでバルゴンは出してほしかったんだけどなあ。
 『ギャオス』以降の『ガメラ』シリーズが、予算の縮小もあってか、だんだん作戦自体がチャチになって行ったのは、なんとも残念なことであった。

2000年09月09日(土) なんでこんなにバカなのか



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