無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年05月28日(月) 才能がないなんて言い訳だ/DVD『チャーリーズ・エンジェル』

 休日が所用でツブレまくっているので、全然休んだ気になれない週明け。
 体重は85.2キロ。もう一息で85キロを切られる感じだが、さて、何年ぶりであろうか。
 いやいや、油断はいけない。楽観的になった途端、たいてい向こうからフンドシは外れるのだ。
 ……ふと書いてみて気づいたが、今時の若い人はこういう言い回しも知らなくなってやしないかなあ。少なくとも桜雅嬢が知らないことは確実だと思われる。


 先日、劇団メンバーの藤田君宛に送っていたメールの返事がようやく来る。
 内容は予想通り「音響ってどんなことすればいいんですか〜?」という能天気なもの。
 よしよし。藤田君はこうでなくちゃ。
 劇団創立メンバーの一人である彼にしてこういうホニャラカだからなあ。
 しげは「今のこの時期に音響プランが決まってるものか〜!」と喚くが、だから「音響頼む」と言われて、「自分がプランを立てるわけではない」あるいは「自分にプランが立てられるはずがない」と考えるのが藤田君なんだってば。

 初歩的なことを今更書かねばならんものかなあ、とも思うのだが、結局は人がなぜモノを作ろうとするかってことなんだよねえ。
 たいていの作家が「なぜ作家になったか」ってことを聞かれて答えるのは「既成の物語より、自分が書いたほうが面白いから」。人間ってのは贅沢なもので、ビクトル・ユーゴーやアレキサンドル・デュマやドストエフスキーを読んで感動してもそれ以上のドラマを求めるものなのよ。
 読んだ小説、見た映画・舞台、それはみんな過去のものになる。
 だから結局、人が「面白さ」を追求しようとしたらそれは必然、自分で何かを作り出そうとするしかない。その人に才能があるかどうかは関係ないのだ。

 しげが藤田君とどういうやりとりするか知らないが、こちらの対処は風に柳である。ぼちぼちと行くから。


 買ったばかりのDVD『チャーリーズエンジェル』、特典、コメンタリー、日本語吹替え、立て続けに見る。5時間くらいぶっ続けだな。
 先日、ベスト電器のLIMBでこれを買った時、ZUBATさんが「なんでそんなモノを」と驚かれていたが、しげ曰く、「だってビル・マーレーが出てるし」と言ったのには私も一瞬絶句したが、確かに納得。
 後半、敵に監禁されてからのビル・マーレーの独演は必見であったが、今回の監督のコメントで、これが全てマーレーのアドリブであることが解った。自由にやらせたほうが実力を発揮するタイプかどうかを見ぬいたマックジー監督、なかなかのものである。
 最初見たとき、随分爆発した演出だなあ、と思っていたのだが、カットされた未公開シーンなんかを見ていると、下品になる一歩手前で抑えていることが解って、これは収穫。
 トイレで男装したキャメロンとドリューがティム・カリーのナニを覗きながら世間話をするように「あんなに小さくて役に立つのか?」とからかうシーンをカットしたのはドラマのテンポからいっても正解だろう。
 それにギャグとしては『裸の銃』シリーズレベルで、演じる二人がヤンキー上がりにしか見えない二人だから、確かに下品になりすぎる。昔のチャリエンだったら絶対に出て来ないギャグだ。それがイカンと言うのじゃなくて、このあたりで、旧作との差異がはっきりするということ。
 でもナレーションにあるように「三人揃って頭が切れて」と言うのは「切れる」の意味が違うんじゃないかとツッコミたくはなったな(^^)。

 『モンティパイソン・アンソロジー』、中味は『イン・アスペン』『パイソンズ』『パイソンナイト』の三本だが、最初の二本だけ鑑賞。
 ここ数年のパイソンメンバーの動向も確認できた『イン・アスペン』だったが、ウワサの「遺灰で登場グレアム・チャップマン」、これはあくまでギャグで本物じゃなかった(^^)。途中で蹴飛ばしてこぼしちゃうんだもんなあ。
 よく、この手の危ないギャグは日本じゃやれないと言われるが、けっこうゲリラ的にはやってるのだ。ウルサガタに気付かれちゃったら問題視されて幻になるけどね。
 それにしてもDVDの付録のTシャツ、着ると汚れるしどうしたらいいのか。



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