終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2010年05月02日(日)

誠実であることと、誠実に振る舞うことは異なる。
孤独であることと、孤独になることが違うように、だ。

ほんとうに誠実なものは、誠実ということを顧みることをしない。受け手にとっての誠実ということを顧みることをしない。
ほんとうの孤独は、そう「なる」ものではない。ただそう「ある」ものだ。


さてそれで、私はもう長いあいだ眠っているが、眠っているあいだにいくつか、ほんのいくつか、読み覚えた歌がある。それをここに移して見よう。




人はゆき 霧はまがきに立ち止まり さも中空を眺めつるかな



物悲しい、物悲しい歌だが、これは孤独に「なる」人の声だろうか。
むしろ本質的に孤独である人間が、己の声に耳を傾け、いわば恋人の出立という事象を「借りて」歌ったものではないのだろうか。

これは和泉式部の歌だが、彼女は恋多き女として名をはせている。
恋をするものは、己の孤独をよく知らざるをえない。己が孤独であるということを自ら確かめざるをえない。己の孤独で「ある」ということを。切々と知らねばならない。恋はその冷たい肌を寄せあうことである。


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