終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2008年08月18日(月)

大阪桐蔭 17―0 常葉菊川

真面目に見ていたわけではない。

だいたい歌舞伎に行く予定があったし、最後まで見る気はなかった。
そして実際、試合を最後まで見ていたりはしなかった。
だが勝負は見てから行った、といってもいい。
初回、常葉菊川はあっけなくも5点を失い、
わたしはエース戸狩がすでに敗北を知っていることに気づいたからだ。

それがすべてだった。

私は暗澹たる気持ちで歌舞伎に出かけたが、
福助が三津五郎が舞い演じるあいだ、
わたしは甲子園でいま、起きているだろうことばかり考えていた。

エースはマウンドを下りられないだろうと、
かれは故障をたぶんどこかに抱えていて、
敗北を最初のコールのときから知っていただろうと。

ああ、かれはどういう思いでコールを聞き、
どういう思いでマウンドに立ったのだろう。
どういう思いで4万6千人の大観衆を見回したのだろう。
その日、球場に立っている18歳の少年は、日本中で彼だけだった。
しかもかれは負けるために、負けを現実にするだけにそこにいたのだ。

「そうか、負けるためには」かれは思っただろうか。
「この試合を終えて負けるためには、27個のアウトがいる」

「俺たちは幾つも幾つも勝ってきた」あるいはこうも思っただろうか。
「ここで、こうして負けるために勝ってきた。県大会の1回戦からずっと」


それはひとつの犠牲劇のようだった。
なにものかのために、彼らは負けなければならなかった。
誰一人、そのスコアにも関わらず、試合を終わりにする権限を持たなかった。
かれは負けきらねばならず、敵は勝ちきらねばならなかった。

それは実際、ひとつの犠牲劇ではなかったのだろうか?

なにか大きなもの、大きな生き物の前に、演じられた劇。
さながらディオニュソスに捧げられたアテナイの悲劇のように、
さながらゼウスに捧げられた古代オリンピックのように。

野球の神様、とかれらは呼ぶ。
それは実は、なにかもっと巨大なもの、なにかもっと日本的なもの、
なにかもっと、確かに我らの血と肉に根差すもの、
そんなものではなかったろうか。


さようおそらくこの国は、年に一度の祭典として、供儀として、
夏の8月のあの終戦と原爆と死と再生の月の激しい日差しの中に、
かれら少年のあのような情熱と涙と歓喜と悲嘆を要するのだ。
冷静には無意味に思われるかれらの「純粋さ」の喧伝は、
つまりかれらが祭司であり生贄であるからに他ならない。


-



 

 

 

 

ndex
past  next

Mail
エンピツ