- 2008年02月11日(月) スウィニー・トッドに関する なにか書こうとして、なにか書ける映画ではなかったと思い至る。 面白いのだが、確かにこれは何か書ける映画ではない。 そこで復讐について考えてみようと思う。 不当な扱いを受けるということは往々にしてある。 しかしそれに対して、復讐をしたいと思うかどうかは意見が分かれる。 ひとつには、受けた傷は同じだけのお返しをしても消えない。 ひとつには、そんなことに体力・時間を浪費するのはもったいない。 とはいえ、腹の虫というものはある。感情というものはある。 感情はある意味、それ自体の寿命と生命を持つ生き物ともいえる。 現実的にまったく意味のない復讐という行為を完遂できるのは、 なるほど男が絶対的に多いのではないかなと思う。 なんでそう思うかというと、女には子宮があるからだ。 連日どうもお下品だが、このあたりは「人が人を殺すとき」による。 女は別の人生(=別の亭主・子供)を持つ可能性がある。 それは女が若ければ若いほど大きなプラスの可能性だ。 ならば女は、マイナスでしかない復讐という行為を選ばない。 復讐をとるのは、女がある一定年齢を超えてこの可能性が低下しているか、 あるいは失ったものが、たとえば成人した子供だったよう大きいときだ。 男については全く異なる。 別の人生(=女房、子供)を持つ可能性は、もちろん男は女より上だ。 にも関らず、男の可能性というのはかれの社会的地位に根ざしているので これを傷つけられたままでは、その回復は極めて難しいのだ。 つまり男は復讐を遂げて社会的価値を回復することによってのみ、 すでにマイナスである自己の可能性をプラスに転じることができる。 かれが復讐を行わないとしたら、すでに繁殖能力を失っているか、 あるいは与えられた運命を甘受することで得られる可能性が大きいときだ。 -
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