終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年12月16日(日)

なぜこんなにラブソングが氾濫するのかと考えて

ああ、そうか。
ふと気づいたことがある。
恋愛の万能など、十代も後半になれば誰も信じていない。
だというのに、これほどラブソングばかり流行る。
これはつまり、問題は恋愛ではないのに違いない。

ひとは愛に仮託しなければ、
自らの孤独を吐露することさえできないのかもしれない。
自らの弱さ、愚かさを語りえないのかもしれない。
そして、生きるという行為を遂げることも。

べつに、これは戦争だっていいのではないか。
喪失にかこつけて語ることもできる。
殺人の苦悩や殺戮の狂気にかこつけて語ることもできる。
なんなら、バンド・オブ・ブラザーズ、戦友の絆でも。
そうだ、語るには仮託がどうしても必要だというのなら。

しかしながら、愛も戦争もなくったって、
こうしたすべては最初からある。
なくすまえから失うことはある。
愛する前から愛はある。狂気も悲傷も。
しかしながらそうしたすべては語りえず、
そして仮託とは言葉そのものだ。

なるほど、天は粟を降らせ、鬼は夜哭するわけだ。


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