終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年08月18日(土)

ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは十九世紀だ。
西洋において神が死ぬまで、それだけかかった。
一方、「天問」は戦国時代の楚の王族で大夫、屈原の作とされている。
だいたい紀元前4世紀ごろの人だから、実に2300年ほど先立っている。
むろん、ニーチェの神はキリスト教の神であり絶対神であって、
「巫」の、シャーマニズムの徒である屈の神とは異なる。
とはいえなかなか面白い話じゃないか。その表現のありかたを含めて。

ニーチェは悪魔に語らせている。
「人間への同情のために神は死んだ」(『ツァラトゥストラ』)
神の死という概念に西洋人たちは驚倒しただろうと思う。
実際のところ、ニーチェはそれ以降も神をめぐる思考を続けており、
かれにおいてまたその思想において「神の死以後」はないといえる。
だから実際にかれが神が死んだと考えていたかというとそうではない。
かれは「神の死」という概念を提出したのである。
そしてかれの寓話集たる『ツァラトゥストラ』で神の敵対者に語らせた。
そこには悲痛さは感じられない。

屈原においてはどうか。
かれの「天問」は、楚王墓の回廊に刻まれた神話画をめぐりつつ、
あるいはそれに取材して天地の始まり以来の神々と聖者について
否定を背後とした無数の疑問文として並べている。
それをもって目録文学と題した人もいるが、それどころではない。
神をまつる古代人が、まさにその任にある楚巫の長が、
日と月を廻らせ天地を巡らせる諸力を一つひとつ否定するのだ。
我が血肉を一片ずつ削り落として葬り去るような暗さが滲む。
呪詛としての言挙げではなかろうかとさえ思われる。

白川静に言われるまでそれと気づかなかった。
「楚辞」の「招魂」は、死んだ王の魂を呼び返そうとするものだが、
その呼び返し方たるや、山海の珍味をあげ美女をあげ…。
世俗の喜びをもって魂を招くというのはどうなんだろ、と首を傾げていた。
その一方、「離騒」においては神々の世界が表象豊かに、
また後の老荘思想につながるある種独特の倫理とともに描かれている。
ここには巨大な断絶がある、と白川静は指摘する。
そして答える。それは神々の死だと。その目録こそが「天問」だと。

屈原は神を祀る巫として神の死に立ち会い、
神々の失せたその後の世界をも生きてそして死んだ。
ほどなくして楚国が滅び、戦国の世が終わり、秦が巨大帝国を築いた。
なんということだ、なんという面白い。この男。
時代の変わり目を生き、変わり目を死んだ。
単に愛国者としてしか理解していなかったこの男に引っかかったぞ。

魔法ってもうないの、と弟が私に聞いたことがある。
私は消しゴムを見せて、言った。
「これ、投げたらどうなる?」弟は答えた「落ちてくる」
そうだ、それはその通り。だが古代人にとってはそうではなかった。
朝と夜がめぐるためには、投げたものが落ちてくるためには、
ふさわしいときに雨降り、陽が照り、大河が溢れないためには、
秩序がまもられるためには無数の神々を祀らねばならず、
それらの神々に根源的な力を捧げ続けなければならなかった。
今はその信仰は失われた。魔法と神々はとっくに死んだのだ。
だがその死に立ち会う! これはまったく、恐るべきことではないか。

その悲痛に立ち会った男はどのように言うか。
かれに先立つ孔子の言をあげたい。
「太山壞れんか。梁柱摧けんか。哲人萎へんか」
この絶唱もまた楚辞の形式によっている。


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