終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年08月05日(日)


 ひどく奇妙な心持ちだった。いま、膝の上で身も世もないようにむせび泣いている裸身は、かれが心底から求めてきた想い人であり、深くつながった双身からは癒された飢えのあまりにも直裁な歓喜が脈打っていた。だがその一方で、かれはこの交合のゆえに罰せられ、明日の夜明けを見ないだろう。罰するのは誰あろう、切なげにこの背にすがっている若い王だ。
「お泣きになられるな」
 そう声に出してかれは初めて、自分の呼吸が浅く速く乱れ、わずかに声の掠れていることに気づいた。かつていかなる死地にあっても、激戦のさなかにあってもそのようなことはなかったのだ。感動というものを欠いているというのがかれに対する大方の見方であった。かれは自身の明らかな同様にわずかに戸惑い、だが重ねて言った。
「酷うはしておらぬつもりですが、苦痛あらば仰せられよ」
 実際、かれは取り返しのつかぬことを恐れるようにぐずぐずと事を進めてきたのだった。男を知らぬ体が当初のこわばりを解き、見知らぬ性感に狎れて不器用に反応を返すようになるまで。開かれたことのない体がわずかも緩んで、押し入っても傷つけることがないと得心がいくまで。
 とはいえその途上には幾度も恥辱を長引かせるより傷つけよとさえ涙混じりの懇願があり、惑乱のうちにいっそ殺せと悲痛な叫びの吐かれたのも事実ではあった。それらを容れなかったために、刑死はなお酷いものになるだろうとかれは考えた。そしてまた、いま口にしたこれらの数言のゆえに更にも酷く。

 ことの次第はかくのごとし。約を違えぬことで知られる東国の若い王は、国家の危急を救った将軍に報いようと、まず所領を、次に官位を、さらには金子をもって挙げた。しかしいずれも受けられず、王は言った。
「功あれば賞、罪あらば罰。信は国家の基本なれば、是非に望みを申し述べよ。申さずば罰せねばならぬ」
 そして将軍は。

 将軍はいささかも後悔していなかった。ただ一夜の房事と引き替えに命を喪い、一族誅殺されるという取引をかれはつとに是としている。そしてまた己が言質に縛された王を哀れみもしなかった。王の苦悩はかれを刑した後も終わりなく続き、絶えず意識に呼び起こされるだろうと分かっていはしたが。後宮の美女を侍らせる悦びさえ失うであろうと思い及びもしたが。
 そのようになるがよい、というのがそれらに対するかれの答えだ。そもそもこの恋心を抱いたときからいつかこうなる、あるいはもっと悪いことになるということはわかっていた。この契機はただの契機であるに過ぎない。
 例えばかれが死刑でなく放逐の身となったなら、遠く辺境の蛮族のもとに走って王国を滅ぼすために画策するだろうと自身でよくわかっていた。それもただ王を我がものとするために。ために無辜の血の幾千万でもって河を染め、陽を翳らせようとも、それは何ほどのことでもなかった。
「…、う…」
 耳のはたで苦しげな声がして、かれは暗い想いからふと醒めた。見れば涙にしとどに濡れた王のかんばせはすぐ傍らにある。
「いかがなされた」
 ややためらい、かれは手を伸ばして汗に湿った王の髪を撫でた。すでに夜の半ばが尽き、幾度となく情を遂げその体を愛撫していた。だが飢渇の想いは止まず、かれはまだ王を手放し得なかった。とはいえ、終わりを宣されれば終わらねばならぬ。すでに王は自らの言を果たした。だから、かれが言葉を促したのは、そういうことであった。かれは王の頬に手のひらを添え、額をあわせて間近からその双眸をのぞきこんだ。遠くない死のときまで再び見ることは許されまい。かといって最期まで思い人の眼差しを持って行きたいわけではなかった。王の目に、その底の底に、自らを焼き付けたかったのだった。それが汚辱に満ちた苦い記憶として回想されようとも。
「いかがなされます」
 かれは重ねて尋ねた。息は奇妙に苦しかった。胸底がせりあがったように息は速かった。なるほどのこようなときにひとは涙を流すのだろうとかれはふと思った。これまで泣いたことなどなかったのだと思われた。やがて伏せられていた王の眼差しがのろのろと上がって、かれを見た。
「どのようにして予がこのようなことを忍んだかわかるか」
 弱々しいが、すでに狂乱から逃れつつある声音だった。
「いいえ」
 かれは答え、鋭さを増しゆく双眸をなおも見ていた。腕にかかっていた手の爪がぎりぎりと食い込んでゆくのがわかった。
「おまえをどのように殺そうかと考えていた。車裂でも磔刑でも生ぬるい。寸刻みに刻み殺すか、それとも腐刑として生き恥をさらさせようか。あるいは手足を切り落とし目を抉り声をつぶして飢えて死ぬまで厠に置こうか。親戚を日に一人ずつ殺してその肉を食らわせようかと」
「さようでございましたか」
「いまだ決めかねておる。どのようにせばおまえを苦しめられような」
「どのようにも。得心ゆくまでこれへ控えまするゆえ、とくと」
 そう言って、かれはふと笑った。それから続けた。
「お望みとあらば日々に夜々に考え抜かれませ。私めもそのように陛下がことを思うておりました。どのように抱き、どのように愛撫し、どのように口づけしようかと。さよう、そのように思わざりし夜も日もありませなんだ」
「存じておればとくより誅滅しておった」
「なされませ。捨て置けば御身の破滅となりましょう。たとえ天の果てへ放逐なされても必ず戻って参りますゆえ。いかにしても御身を得んがため術策をめぐらしましすゆえ」
 腕の中の体がわずかに竦むのが感じられた。王の眼差しはかすかに揺れ、だがすぐと戻った。
「だがなにゆえ」
「申せと?」
「そう言った」
「稲穂の風になびくごとく、影の形を追うごとく、群星の北辰に向かうがごとく、御身を只一人と定められましたがゆえ。生きてあるあいだ呼吸を絶やすことなきように、ひとときも御身を思わざることかなわぬゆえに」
「恋情か。だが恋情は優しきものぞ」
「私のごときものの恋情は異なりまする」
 王はようやく黙した。怒りに上気していた頬から血の気が引いているのをかれはつぶさに見た。
「放せ下郎。夜は果てた」
「いかにも。されば下される刑を教えてくだされませ」
「追って沙汰を待て。まだ思いつかぬ、怒りに狂おしいわ」
 ふりほどくように王はかれを振り切り、おぼつかなぬ身ごなしで退いた。
「それでは沙汰をお急ぎなされませ。御身が私めを思うてくださるあいだ、私めは幸せでございますゆえ」
「思うておるのはそなたの殺す手だてぞ」
「まことに、そのゆえに」
 かれは衣装を拾い、袖を通すとわずかに笑った。飽かず王の躯をむさぼっていたときよりも不思議と幸福感は大きかった。このように離れても、王はかれを思っているのだ。そして本当には忘れることもあるまい。
「どこへ」
 背後からかけられた声に、かれは振り返った。
「館にて閉門しておりまする。沙汰をお待ち申して」
「確かに待っておろうな」
「いかにも、確かに」
 そしてかれは歩き始めた。朝を許された喜びはおぼえなかった。ただ王は終日かれを思うであろうことに計り知れない喜びを覚えていた。



と、途中で趣旨が…。


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