終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2007年06月14日(木)

遊び回り@覚え書き

・「パイレーツ・オブ・カリビアン」(1000円)
ようやく行ってきました第三作。
最初からけなしつつ、結局全部見たのはあの音楽が聞きたかったからだ。
ジョニー・デップとオーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイは健在。
穴だらけで商業映画くささ、婦女子狙いの演出もあちこち見えつつ
最近の続編流行の中でも、映像の新鮮さと娯楽度を一定に保てた、
わりにレアな作品ではないかとも思っている。これは評価だ、もちろん。


・「プラハ国立美術館展」(1400円)
渋谷bunkamuraで開催中。

今更ながらbunnkamuraでの展覧会って微妙にB級である。
微妙っつーか、うーん。今回に限っては完全にB級。
ブリューゲルと言いつつ、ルーベンスといいつつ、おい、モノホンがねえ。
複製とか追随者の作品ばっかじゃねえか。ぱっと見りゃわかるぞ。
これは金返せと言われてもしょうがないぞ。
ショップの商品にモチーフで使われている作品のほとんどが
展覧会場になかったというのもお笑いぐさだ。
巨匠の裾野にこんだけ模倣者がいるというのが
まあ、ある意味面白かったけどな。
あと、水車のような帽子をかぶったセレブらしい女性がいて
感嘆の声を上げ続けていたのも笑えた。あんた、この絵の何がすごい。
本物見てこい、国立西洋美術館あたりで。


・映画「フランク・ゲーリーのスケッチ」(1700円)
ル・シネマにて上映中。

寡聞ながら現代建築家というものをあまり知らないのだが、
さすがにまあ、この人の名前くらいは知っている。
というのも古巣・関西の神戸に
フィッシュ・ダンスという素っ頓狂なモニュメントがあるからだ。

素っ頓狂だがある種の暖かみを感じさせるデザインでもある。
今回、この映画で彼の「作品」をたくさん見てなおさらそう思った。
もちろん、好き嫌いはある。双眼鏡そのまんまとか嫌いだ。
しかしなんというか、純粋に「頭の中から生まれた」感がない。

つきつめていえばこういうことだ。
東京で私がいま実感している「すべてが人為、すべてが誰かの言葉」という
あのどうにもならない窮屈さ、息のしづらさというものがある。
朝から晩まで始終、脇で大声でどなられているようなものだ。
しかし彼の作品は、おおむね外光をうけて初めてその美を生じる。
いわば「森や海のような」雰囲気がわずかなりともある。
いや、私が好きなのはそういう作品だけだということだが。
「ナショナル・ネーデルランデン・ビル」とか、
「ディズニー・コンサートホール」とか、そんな感じがある。

それはどういうことかというと、彼が強烈な言葉の持ち主でありながら
なおもかれが作ろうとしているものが建築であり、風景の一部であり、
そこで人が食べ、飲み、笑い、営為し、尊厳を持って死ぬ場所であり
かつそれ自体が、町の住人であるというということを理解している。
そこまで考えていなかったのだが、映画で言及されていてははあと思った。

心に残った対話。
「次に生まれてきたら、画家になりたいね。画家は偉大だ。
 僕はまだ一枚の絵のような建築を作っていないよ」
「絵を描いたことはないのかい?」
「ないよ、一枚もね」
ここで表題を思い出してもらいたい。
なるほどかれのスケッチはもどかしい言葉のようにもしゃもしゃしている。


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