- 2007年06月04日(月) 遊び回り@覚え書き ・東京都庭園美術館、及び「大正シック」展 口にするのもはばかられる白金台近くにある。 もと朝香宮邸宅という壮麗なアール・デコ建築物。 コレを見るだけでも行く価値はある。 入るなりルネ・ラリックのガラスがお出迎え。 香水塔も麗しく、鉄の曲線と和風情緒滲む木材のとりあわせも素晴らしい。 一部だが宮の書斎など当時の調度も残っていて、じつに楽しい。 それで大正シック。 ホノルル美術館の収蔵品のうち 大正時代のモダーンな雰囲気漂うものを選んで展示したものだという。 気になったのは「当時の文物が美術に類するかどうか議論されている」 というどっかの説明書き。美術に類するか類さないか。 確かにそこに示されていたのは、純粋日本の美ではない。 また西洋の正当の美の規範による美術でもない。 そのあわいにあるもの、まさに変容しつつある近代日本の、 その変容の断片だ。(例えば水着を着た女の日本画) 技法のうえでも題材のうえでも何と言いようのないものだ。 (例えば遠近感を取り入れた浮世絵、椅子の上の和装の女) 近代。アール・デコとアール・ヌーヴォーの影響さえ認めうる日本画。 あるいは浮世絵風の美女のしどけなく立つ西洋画。 だが魅力は魅力、わたしは早々にこれらを美術の範疇に入れた。 この日、いちばん考えさせられたのは庭園だ。 ここしばらくいろいろな庭園を見ていて、なにか考えていたのだ。 ふと形になった。 「ここにあるのは誰かの言葉・誰かの思想・誰かの視界に過ぎない」 なるほど植物はおのおの生きている。だがそれは音節のようなもの。 文字のひとつのようなもの。誰かのもの、誰かに由来するものだ。 東京はどこにいても誰かの夢や言葉の中にいるような気がする場所だ。 それこそまさに小さくする力で、私がなんとなく嫌悪していたもの。 ひと思想や言葉をのがれて、私はどこかへいきたい。 ジンニーア、私には空隙が必要なのだ。息をするための。 -
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