- 2007年06月01日(金) 遊び回り@覚え書き ・「パリへ 洋画家たちの100年」 上野、東京芸大美術館。 自分が通ってた大学にこれくらいの収蔵品があったら大学をも少し 尊敬できたかもしれないねえ。というのはさておき、 なんてことなしに使っていた「洋画」という概念について考えさせられた。 この言葉以前、絵はすべてただの絵で、それはつまり日本画だったわけだ。 そこにはもちろん浮世絵も水墨画も南画もあったんだろうが、 ともかく日本人が日本の文化風俗理念を描いて日本人が見ていたわけだ。 そこへどっこい、洋画というわけ。 音声ガイドで「なぜ日本人が洋画を描くのかという疑問」 をほとんどすべての洋画家が対峙しなければならなかったものとして 揚げていたが、なるほどそうだ。そう言われてみればそうだ。 むしろ洋画とは、油絵という材質との戦い、手法との戦いであると同時に そうした葛藤そのものではなかったか。 黒田に始まる多くの画家を見ていって、 佐伯の絵の前で足を止めた。 この夭折の画家は、「日本では俺の絵は描けない」ということで 病をおして再度渡仏、かの地で病没したという。 思い出したのは大観の言葉だ。 「芸術に国境はあります。 批評や文化にはないかもしれない。でも芸術にはあります。 自然や景観が自ずから異なるとき、心持ちも絵も違います」 むしろ単純すぎるくらいの理屈だが、あるいは本当だろうか。 なるほど佐伯の愛した壁は、あんな壁は日本にはない。 死を覚悟しても画題を求めて海を渡らざるをえなかったわけである。 ・「蕗谷虹児展」 弥生美術館。 竹久夢二を知っていても、同時代人でやはり傑出した挿絵画家だった 蕗谷を知っている人はそれほど多くないだろう。 じつのところ私も知らなかった。入ったのはいわば偶然である。 入ってびっくりした。 なぜなら私が子供のころに読んだアンデルセン童話の挿絵がそのまま そこにあったからだ。ああ丸顔で愛らしい人魚姫! しかしながら客はというと70年配以降のおばあちゃまが圧倒的で しかも彼女らもまた実に懐かしそうに「少女画報」「令少女」など 半世紀も前の少女雑誌を見ているのである。なんつー年齢層の広さ。 温厚篤実であった生涯が忍ばれた。 この美徳はじっさい、破滅的などという魔術的な言葉に比べ 作家画家の類の評価をあげるものではない。 人は芸術をなにか人を驚かすものだとみているから 当然ながらその作者はロクでもなさを仮託されるほうがいいのである。 まあそんなのはどうでもいい。 アール・デコを思わせる優美洗練、なのにどうあっても東洋。 中原的などろくささは薬にしたくもない。 とはいえ蕗谷はいっときパリに画家修業に出ている。 そこで一定の活躍もしている。だから上記の展覧会に一品くらいでても まあおかしくないはずであろう。がそうはならなかった。 ビアズリー程度の実力はあるだろうに、不運なひとではある。 愛され続けることで足りないひとならば、というただし書きつきだが。 ・「イタリアバロック声楽曲の夕べ」 上野、旧東京音楽学校奏楽堂。 実際のところは奏楽堂に入れればなんでもよかったのだが、 たまたまこの日、やってたもんで。 って、おいおい林望センセイが…。 東京あたりならまあなにが出てもおかしくないわけだ。 イタリア歌曲を何本かと、ヘンデルのオペラ「アルチーナ」から抜粋。 古楽アンサンブルのヴィオラ・ダ・ガンバが良かった。 私はそうじて低音楽器が好きらしい。 演奏は中の上というところか? 近藤政信のオロンテが声量、質ともに群を抜いていたのはご愛敬。 声というのは、まさにこの人体を楽器として奏でられる音色は、 豊かで、美しく、無限だ。そしてニュアンス。 -
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