終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年11月25日(土)

 壁の向こうでクラヴィーアが歌っている。ハ長調ののびやかな素朴な響きは緊密に織られた音色の中からすっくと立ち上がって、聞くものの心を明るくするようだ。ククールは板におしつけた耳に何事も聞き落とすまいと息を殺した。弾いているのはマルチェロで、かれらのあいだには薄い木の壁がたった一枚あるきりなのに、この隔てを超えることは許されていないのだ。
 ククールは一心に聞く。マルチェロは幸福だろうか? 苦しんではいないだろうか? 古い恨みにとりつかれて、以前にあったような暗い目をしてはいないだろうか? 音楽はかれを楽しませているだろうか? そうした問いは確かにクラヴィーアがいかに雄弁であったとしてもうかがい知れるものでなかったかもしれない。だがククールにはそれよりほか手だてもなかった。この薄い壁板はいわばかれとマルチェロのあいだのエンガスの断崖であってこの境界を越えられるのはただ音楽だけだった。
 まだ音楽は続いていたが、ククールは身を起こした。絶えがたいほどの苦しさがこみあげてきて、もうじっとしていることはできなかった。ククールは傍らのケースから震える手でチェロを取り上げると、壁に向かって置かれた椅子に座った。一度、二度。調弦のために弓をあてると、ふいに隣室の音楽が絶えた。マルチェロは気づいたのだ。おそらくは半信半疑であろうが。
「……」
 ククールは心を静めてゆっくりと弦を走らせた。変ロ短調の即興曲。限りなく暗く、葬送の足取りにも似た重たいラルゴ。わずかの技巧もなく音色は生まれ出て部屋を満たし壁を越えてマルチェロの方へと溢れていく。救い主の生涯のごとく短く苦悩に満ちた響きを弾き終えて、ククールは震えながら顔をあげた。マルチェロが気づかなかったはずはない。
 数秒の沈黙のあと、壁のむこうから、心をふるわせるようなヘ短調が響き始めた。



 この調子で24の調についてそれぞれ対話させようと思ったがやめた。
 つーかムリ。すげー久しぶりに音楽家兄弟。
 こういう兄弟げんかの仲直りの方法って音楽家らしくていいなあ。
 最後はやっぱりニ長調でシメでしょう。


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