- 2006年10月09日(月) 三日で二度も酒を飲むと、さすがに肝臓が苦情を言っている。 といいつつもらいもののワインを開けているわけだが。 白ウメー。白。ドイツワインいいよ。 オタク話をできる機会というのが稀有なので、 イベントのオフ会というのはなんともいえず幸せだ。 顔見知りや、ネットで名前だけ知っている方とお会いできるのは、 これはありがたいことだ。あとはもう少し自制心が…。 仕事以外ではむすっとしているのがデフォルトなので、 モード休日のときは話すのがあまりうまくない。 こと文学や文章や物語については経験が浅いからなおさらだ。 論点を整理して、問題点や意見を求めるポイントを明らかにする手際を もーちょっと学ばないと、良い「一座の人」にはなれないなあ。 つらつら考えながら書き言葉にまとめるのとはわけが違う。 あー楽しかった。 お会いしたすべての方にありがとう。 「天問」 いわく、遂古(すいこ)の初めは、誰かこれを伝道せる。 上下(しょうか)いまだ形あらず、何によりてかこれを知りたる。 冥昭(めいしょう)茫闇(ぼうあん)なる、誰かよくこれを極むる。 漂翼(ひょうよく)としてこれ像あり、なにをもってかこれを識れる。 明を明とし、闇をやみとす、これこれ何かなせる。 陰陽三合す、いずれか本にしていずれか化なる。 遠い初めのことは誰がこれを伝えたのだろう。 天地にかたちがまだなかったというが、どうしてこれを知ったのだろう。 夜も昼もわからずぼんやり暗かったというが、誰がこれを見極めたのか。 生気がみなぎる中に何かがあったというが、どうしてこれを知ったのか。 明るさを明るさとし、暗さを暗さとするとは、いったい誰にできたのか。 陰陽の気が交わったというが、どちらが本でどちらが変化したものか。 この調子で天を問い地を問い、善を問い悪を問い、歴史上のおおよそすべてを問うてゆくのがこの歌だ。神々や聖人の業績といえども容赦なく問断されてゆく。こうした徹底的な問いかけにあったとき、これをどのようにとらえることができるだろう。 一つの提案は、神前の問答を仮定するとよい。問いかけ答えて世の一切を明らかにしてゆく作業は、これは楚辞が持つ儀式的な由来を考えればきわめてありうることのようだ。肝心なのはここには答えがない。この提案はこの一事において疎外される。 二つ目の提案は、うちに答えを含んでおり、問いかけのかたちをした教理の伝達であるということだ。確かにここには「遠いはじめ」において天地がまだなかったことや、夜も昼もまだわかたれていなかったことがある。しかし後段に進むにつれ、当時の倫理においては疑うことすら許されなかったであろう聖人たちの事象があまりにもざっくりと両断されていること、されすぎていることに違和感を感じざるをえない。実際、それらの問いは信じるべき方向性を仮にも示しているようには少しもみえない。この一事において、この提案もありえないだろうと見なされる。 三つ目の提案は、これは最初のものの裏返しなのだが、呪詛だ。ひとつひとつの問いかけのうちに、そうした種々の信仰を、いわば芽をつむようにつみとっていって、なべて疑念を呈しえぬ真理などではなかったと見せ付ける過程である。楚辞の時代において信仰やその地続きである歴史は、人々の精神世界そのものであったはずであるから、この問いかけの意図はまさしく恐るべきものであったといわざるをえないだろう。 この三つ目の答えを仮に真実として思考を進めてみよう。「天問」のなりたちは諸説ある。一説によれば不遇の身にあった作者が、方々の寺や洞の絵画をみて、憤りのままに書いてなじったものを後世のひとが集めたという。もっともそれにしては、これだけ長大な作品がほぼ順序良く並んでいるのは、かなりのとこ妙であるというのが定説だそうだ。学者のなかには、二の説に近いような民族叙事詩であるとするものもある。いずれにせよ過去のことは過去であり、謎は謎であるにせよ、これがいわば苦情を含んだ落書きであるとすればみなぎる否定の意思もわかるような気はする。 司馬遷は「史記」の中で、楚辞の各編を読んで「その志を悲しむ」と評した。 この言葉のなかに、屈原が身を投げて果てた洞庭湖の波おとを聞くように思う。 -
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