終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2006年08月26日(土)

最近、共感覚についての本を何冊か読んでいる。
ずっと前から興味はあった。これは確かに認知の謎に迫る物語ではないか。

色と形、もしくは味と音が同じカテゴリーでないとは、
これは社会通念に過ぎない。それはすべて、脳の産物に過ぎない。
では脳はどのようにしてそうした分別を働かせているのか。
またこうした区別はいったい何を意味するのか。


色と形、味と音は、通常、かけ離れたものと考えられている。
にも関わらず、そうだ、にも関わらず、
「まろやかな色」「甘い音楽」といった言葉は即座に了解される。
これはいったいどういうことか。
この認識の複雑でうつくしい回路。そしてその混線。



「私の見ているものは、あなたの見ているものと同じですか」



ひととは何かときみは問う。
だがそれこそ正しい答えへのアプローチではないのか。
感覚の奥には理解と認識への窓が開いている。
扉でないのにはわけがある、なぜなら謎を解く喜びとはつねに、
そうだ常に、幼い子供が胸に抱く歓喜なのだから。


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