- 2006年08月25日(金) 祈りのときに顔を上げるのには理由がある。深い情熱は足下からわき上がり身内に満ちてこぼれ落ちるから、その濃密で粘っこく熱い液体におぼれてしまわないためには、どうしたって、上を向かねばならないわけだ。 曇天は頭上を重たく銀ねず色で占めている。マルチェロは平たく横たわる墓石の前に膝をついた。どのような嘆きがこの嘆きを嘆き尽くせようかというのが、この場所にたったとき常に胸を占める思いだ。しかも死は、わずかも希ではない。たとえそれが赤い死であっても。 この世の底には嘆き尽くされなかった嘆きが堆積して、いつか地表を超えてあふれ出ていくのではないだろうか? マルチェロは指先で墓石を愛しく撫でる。それがいまなら良い。世の始まりからの悲嘆が世界に満ちて、満ちて、そしてなにもかも飲み込んでしまえばいい。 生死は常にありふれていて、理不尽も悲痛もそうだ。だがそれは少しも悲しみを緩めない。これはいったいどういうことか。なにもかもが落ち続けているようだ。果てしない暗がりに向けて落ち続け、なにもかも悪くなっているのにその行程には終わりがない。いっそ雷鳴がとどろき、世界を焼き尽くす炎が走り抜ければいいのに、そうした終わりすら与えられないのだ。 マルチェロははっと顔を上げた。雲が切れて、とおく地平のほうに、斜めに黄金の光が射している。光は射して、ぽつんと立つ木の上にかかっている。それは確かにわずかな細い光であるのに、ずいぶんとおくからでも見えているのに違いなかった。マルチェロは覚えず、ぼうぜんとしてその光を見つめた。そして知った。言葉になおせばそれはこういうことだ。 我らは確かに落ちている。世界は確かに落ち続けている。町も教会も王国も落ち、俺も人も誰も落ちている。だがそれらすべてを支える手がある。かぎりなく大きな、やさしい両の手が。 -
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