- 2006年06月15日(木) 諦める、ということを、マルチェロはかつて一度も肯ったことがない。それは実にまっとうなことであった。これまでの生涯において一度でも諦めを受け入れていたとしたら、その瞬間にも彼は死んでいたであろうから。 いうなれば、愛に満ちた家庭に生まれた子が誠実と思いやりとを学ぶのと同じ理由で、マルチェロは裏切りと不信と嘘とを学んだのだ。つまり生き延びるために。誰からも脅かされないために。殺され傷つけられないために。 マルチェロは孤独であっただろうか? 常に。だがそれは不幸ではない。彼の目には世界は嘘と裏切りに満ちていたから、孤独であるよりよいことはなかった。秩序が上に立つものが圧制に用いる道具でしかないと信じるとき選びうる道は孤立と反逆よりほかにない。それは自然であった。彼の不幸はそれを疑わせるものが常に身近にいたということにある。 はだかの体の上を、手が這ってゆく。おずおずと不器用に、だが温かく。マルチェロは黙ってその手を感じていた。胸を過ぎて脇腹へ。再び上がって胸へ。喉へ肩へ、そして柔らかな嘆息とともに胸の上に額が置かれる。 この行為はマルチェロにとって新しく学ぶものだ。ただ黙って横たわっていることに過ぎなくても、やはり新しいことなのだった。誘惑でなく挑発でなく、互いの隠された意図を読みあう行為でもない、ただの愛撫。 ただの愛撫。だがそれは、どのように受け止めればいいのか。測りがたい海を前にしたようマルチェロは戸惑い、そのうちに思い悩むことをやめた。この弟の望みは理解できたためしがない。目を閉じたままされるに任せた。 虜囚の身となって半年が過ぎていた。最初の数ヶ月は暗い独房で暮らし、ある日なんの前触れもなく見知らぬ城へ移された。そこで待っていたのは、終生を封印されて過ごすべき囚人の予期する惨めな生活でこそなかったが、それよりもはるかに彼を当惑させるものだった。 城内を歩く自由と十分な衣食住、わずかながら書物まで与えられる日々にマルチェロは不満を述べる筋合いもなく日々をすごし、だがときおり奇妙な気配を覚えた。それは音というにも形というにもわずかすぎて気配と呼ぶよりほかにないもので、しかもそれについて問いかけるべき相手はいない。 そうした夜のうちのひとつの夜に目覚めて、ふいにマルチェロは気づいたのであった。糸のごとく引いていたその気配は弟のものだったと。 そうだ、この体の上を這っているのは弟の手、触れているのは弟の髪だ、とマルチェロは横たわり、目覚めたしるしさえ見せずに考える。最後に見た記憶はゴルドのあの激動のさなかだった。それよりあとは噂も聞かず、またしいて行方を尋ねようとも思わなかった。その弟が、なにゆえいまこのとき己に触れているのだろうかとマルチェロは奇妙に思う。 ぐろっきー(ばたり) あられもないエロまでは遠かった。 -
|
|