終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年10月26日(水)

大阪にいたら暴徒と化してたぞ…!<日本シリーズ4連敗



『聖トーマス教会の新バッハ・オルガンによるバッハ名曲集』(U.ベーメ)

バッハが27年間にわたり監督を務めたライプツィヒ・聖トマス教会に
バッハの生地アイゼナッハ・ゲオルグ教会のオルガンを参考にして
バロック当時の音を忠実に再現して新たに建造された大オルガンで、
トッカータとフーガからオルガン・コラールの名曲までの計12曲を、
優れたオルガン奏者ベーメが演奏する様子を収めたDVD。

とても長い説明だ…。

プロテスタントらしい極めて簡素で素朴でかわいらしい教会に鎮座した
シャープで優美なオルガンを、むくつけきオッサンがひたすら演奏する。
映像的にはそれだけなのだが、その音ときたら!

61ストップと4段の鍵盤を持つ大オルガンは無限の色彩を持つパレットだ。
金属的な鋭さで「トッカータとフーガニ短調」が鳴り響いたかと思うと
金管楽器の優美な音色が「イエス、我が喜びよ」と歓喜を歌い上げ、
弦をこする響きが「ああ、いかにはかなき、いかにむなしき」と憂う。

ベーメの手足は魔法のようだ。
4段の鍵盤は丸っこい短い指から追いかけあう複数の主題を同時に紡ぎ、
ダンスのステップを踏むように足は低く重厚な通奏低音を湧き上がらせる。
白亜に木の迫持が林立する複雑な天井は天然の音響装置であろう。

ここにバッハがいたのだ。
ここで生き、ここで歌い、ここで奏でた。
音色は交錯する。わたしは陶然となる。幸いなるかな!
幸いなるかな、この地よ。楽の音よ!

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音楽というのは人間においてきわめて本質的なものだ。
オリヴァー・サックスは、脳に器質的な欠陥を来たしながら
音楽のもとでだけ全的な調和を示す男女の例を報告している。
音楽はいわば、「時間」であり「流れ」であり、
器質的な欠陥によってそうしたものを欠いた彼らは、
外なる音楽に「のる」ことによってスムースな動きを取り戻すのだという。

調性というのも、これは自然に対して本質的であるという特徴を持つ。
こうしたものは、平均率がそうであるように自然の分割によって生じる。
分割もまた恣意であるとは聞くところであるが、
これについて私はまだほとんど理解せず、また知るところが少ない。
いずれくわしく学び、報告したいものだと考えている。

わたしが音楽に固執するのは以下の理由からである。
私は音痴だ。音程や調性の変化について、私の感覚は何も教えない。
リズムについてもそうだ。私はリズムを有しない。
にも関わらずそれが存在することがわかる程度には音痴ではない。

音楽は私に私の欠陥について教える手段なのである。
逆に言えばこういうことだ。
私は音楽を通じて、私の欠陥についてより詳しく知ることができるだろう。
多分それはきわめて本質的で根深いものなので、
普段の生活の中からだけでは、何が欠けているのかを
そもそも感じたり知ったりすることができないのだ。


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