- 2005年08月25日(木) 四声合唱が周囲を圧する。歌句はただひたすらに「主よ哀れみたまえ」、荘重に荘重に響きは重なる。バス、ソプラノ、テノールが次々と緊張感を漲らせながら現れ出て、全体がいよいよ激しく高まっていった。嵐のような力強さは数秒間にわたって轟き渡り、やがて自らの力に耐え切れなくなったよう不意に静まって、絹糸のごとき繊細な優美さに代わった。 贅を凝らした劇場の桟敷席に座り、アンデルセンは黙って舞台を見下ろしていた。受難曲を聴いているのは正装の貴婦人に紳士たち。いつものくたびれたカソック姿の自分はどう見えるかなどとあらためて問いかけはしないが、それでも場違いだということは嫌というほど感じていた。上司の護衛という役回りがなければ顔を出す場所ではないことは確かだった。 『護衛』。その上司は傍らで陶然と音楽に身を委ねて半ば目を閉じている。それだけならいいが、いつものように少し体を傾け、頭をアンデルセンの肩に預けている。指先は膝の上でかすかに動き、音の一つひとつに身内の深い部分をさらして身じろぐ。その様子は、常の様子とはほど遠いやわらかみを帯びている。親子ほども年齢の差があると思い知るのはこういう時だ。 再生者がどのようにして往時の姿に留まろうとも、歳月は凝ってゆく。体力の衰えでも霞む目でもなく、ただ泥のような苦い重い倦怠となってまとわりつく。活力は尽きずとも、そうした重さはもうアンデルセンの背骨の上に重なっている。戦いのなかでは忘れられても、平時にはときに息が詰まるほどの重荷として迫ってくる。だがこの上司、若き司教、マクスウェル。 この青年には歳月はまだ暗い影を落としていない。切れ者と呼ばれ、ときに恐れられながら、この司教はまだ若い。その信仰も、その心も、傷つきうる柔らかさを失っていない。それはあるいは弱みかもしれず、やがては滅びの基ともなるかもしれないものではあったが。だが、だからこそ強く、だからこそ鋭く、だからこそ―愛情さえ抱く。そうだ、愛情さえ。 「――」 アンデルセンは手を伸ばした。音を数えるマクスウェルの手を取る。驚いたように青い目が開くのを見下ろしながら、捕えた手を引き寄せた。手袋をしたその指に口付けする。そして祈った。声にも出さずに。 キリエ、エレイソン。主よ哀れみたまえ、と。 「ヘルシング」アンデルセンとマクスウェル。狂信者二人。ビミョー… -
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