- 2005年07月16日(土) 中田賢はまだバックスクリーン前のフィールドが落ち着かない。そこはあんまり広すぎるし、彼がいつもそこにいたダイヤモンド、内野手たちの密な空間とは違って静かに過ぎる。 栃木大会七日目、宮原球場第二試合の3回戦、栃木工対真岡工戦は奇妙な既視感を覚える一戦だった。記憶を手繰ってみよう。2004年7月15日午後一時、同じカードがやはりこの場所で行われた。一塁側が栃木工で三塁側に真岡工という配置さえ同じだった。 それでもいくらか変化はあった。昨年の最上級生はスタンドで応援する側に回っていたし、栃木工の右腕・中田寛の女房役としてマスクをかぶっていた中田賢が中堅にコンバートした。彼はこの一年のあいだに肘と肩を壊し、最初は一塁へ、それから春の大会の前に中堅に移った。 宮原球場の外野グラウンドにはシロツメクサが植わっている。中田賢は多くのそこだけ植生がはげてむき出しになった赤土の上に立っている。左右に広がる広い空間が彼をゲームと仲間から隔てている。少なくとも彼のいつも笑っているような顔にはこの日、そんなふうなさみしさがあった。 彼はいま、孤独だろうか? おそらく。小学校2年生からこのかた、長いあいだ内野手に囲まれてゲームの中心のマウンドにいたのだし、そこを去ってからもやはり長いあいだ、捕手としてゲームを支配してきた。野球という競技の微細な響きや歌さえ彼には近しいものだ。あるいはそれこそが彼の本質をなしているとでも言ったらいいかもしれない。音楽家の魂がまさに音と歌から成っているように。だがこのときその調べは遠い。歓声も。 それでも彼はそこから立ち去ろうとしなかった。彼は順番通りに打席を踏んで、順番通りに凡退した。試合は彼を疎外して栃木工に有利に進んでいった。二回表裏の激しい攻防と、九回表の凄絶な勝ち越し劇。彼は外野からダイヤモンドを見つめていることしかできない。あるいはベンチから。 彼は試合終了後、ナインのひとりとして整列し、校歌を歌った。彼の目は、このひどい寂しさは、あの広くてトンボの飛ぶ外野から、遠いダイヤモンドを懐かしく見る目にだけ宿る、とでも言うようだった。 -
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