終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年05月28日(土)

久々の怠け曜日。
ここしばらく頭の後ろがひきつれる感じで常時偏頭痛だったんだが、
18時間ばかり断続的に寝たら取れた。




母親と二人きりのマルチェロを書こうとして書きあぐねている。
彼らはとても奇妙な状態にあるので、掴みきれない。
いっそ回想によって語るべきか。
しかし兄貴が「あの経験」を言葉にすることがあるのかどうか。


「あの経験が私に対して過ぎ去って再び還らないのなら、
 私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろうとでも
 言っている声のようだった。
 しかし、今もなお、それから逃れているとは思はない。
 それは以後私の書いたものの、少なくとも努力して書いた凡てのものの、
 私があらわには扱う力のなかった真のテーマと言ってもよい。」
                  小林秀雄『感想』より


確かにそれは、そのような出来事であったに違いないのだ。
そのように決定的で、彼の上の刻まれた出来事であったに違いないのだ。
そして彼がそのあと、この地表に書き続けた物語のテーマですら、
そうだ、テーマですらあったかもしれない。
だが彼が語っただろうかと考えると。






ジンニーア、草原の果てにおまえはゆく。
山脈の向こう側におまえは立つ。
わたしはそれを確かに知っているが、
おまえにたどりつく手段がない。
これはたとえば、望郷とか恋情などという名前で知られているものだろう。
しかし真実のところは人間の根源的な寂しさに根ざすものであって、
名前も由来も必要ないものではないのか。


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