- 2004年08月26日(木) 強い雨が間断なく降っていた。8月17日午後4時半過ぎ、甲子園。 グラウンドでは八強進出をかけ、東北―千葉経大付戦が行われている。 延長十回裏、東北・ダルビッシュが打席に入った。私はスタンド最前列、関係者席にもぐりこみ、長い望遠レンズを雨からかばうようにして抱え込んで見ていた。 そのときまで、私は東北が負けるとは考えていなかった。そうだ、ダルビッシュが負けるなどということを考えるわけがなかった。東北は――むしろダルビッシュは、195センチの長身から投げ下ろす最速150キロの速球と何通りもの変化球で優勝候補の筆頭と目されていたのだし、その日も九回表の土壇場、雨による不運な三塁手の失策で追いつかれ、また延長に入って2点を追い越されたとはいえ、ほぼ全ての局面にわたってゲームの主導権を握っていたのだから。だが打席に入るダルビッシュを見て、私はゲームが自分の思い込みをとっくに追い越していたことに気づいた。ダルビッシュが負ける。それは確かに衝撃だった。 ダルビッシュは落ち着いているように見えた。昨年の春と夏、また今年の春にも、彼はここにいた。なかでもこの夏はまさに彼のためにあったといってもいい。そのダルビッシュは敗北を目前にして、しかもその敗北を落ち着き払って受け入れているように見えた。九回までのダルビッシュの周囲にただよっていた覇気とでもいうべきもの、勝利の予兆めいた雰囲気はなかった。彼は二度空振りした後、自軍のベンチの方を向いて、後輩のボールボーイに笑いかけさえした。 後にダルビッシュは話した。「最後の夏は笑って終わろうと決めていた」。ならば私の思い込みではない。彼はすでにまだゲームの続いているあの場所で敗北を味わっていたのだ。降りしきる雨の中で、ダルビッシュはバットを両手で構え、照明灯を見上げた。彼はその瞬間だけ、泣き出しそうに見えた。その胸中にどのような思いが去来したのか、知ることはできない。だが推し量ることはできるだろう。これまでの夏と春にここで戦ってきたその戦いのいちいち、常に注目され続けたことがもたらす苦さと誇り、磐石に見えて常に危ういチームワークというもの、もはや高校生としてあこがれに満ちて踏むことのないこの高みの舞台への万感――。おそらく何も言葉の形をなさなかったのではないか。 ダルビッシュはバットを構えた。カクテル光線と雨は降り注いでいた。そして彼は最後のボールを見逃した。捕手が立ちあがり、歓声を上げて殊勲投手の方に走り出しても、ダルビッシュはそこに立ったままだった。彼はバットを手から落とし、少しばかり真顔になって自嘲するように舌を出した。試合は終わった。 スタンドからはどよめきがわきあがった。個々の人間の呟きや叫びが数メートル上空で結露するようなその奇妙な現象を、最初にダルビッシュが聞いたのはいつだろうか。将来をすでに嘱望されていた子供時代か。それとも親に連れられていったプロ野球の球場か。だが彼はこのとき、何も聞いていなかったのではないか。注目という呪詛に憑かれたダルビッシュが終わりというものにつきまとう感慨を噛み締められる時間はそのわずかな瞬間しかなかったのだから。 ダルビッシュはチームメートとともにベンチの前に整列し、聞きなれない校歌が歌われるのを聞いた。カメラマンが焚くフラッシュが彼の顔を無遠慮に何度となく照らし、ダルビッシュは黙ってそれに耐えた。おそらくは、それから休息までの道のりを長いものにするうんざりするような一連のことに耐える用意をしながら。インタビューにはどう答えようか、とでも彼は考えていただろう。そして敗北はすでに過去のものとなっている。だが私は望遠レンズにフタをして、ダルビッシュがおそらく一瞬以上長く味わうことの許されなかった敗北の中に沈みこんだ。 雨も光も絶えることのないグラウンドに、もう明日も明後日もダルビッシュは姿を見せないのだ。準決勝も決勝も彼抜きで行われるのだ。奇妙な喪失感を私は胸におぼえた。帰途についたすべての観客が――例え三塁側の応援者であっても――おそらくは感じたであろうように。彼は確かにスターだった。ダルビッシュの退場で、この大会は確かに一つの光輝をそがれたのだ。 やがて光も消えた球場を、激しい雨の幕が覆っていった。
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