終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2004年05月23日(日)

長い長い長い手紙を書きたくなることがある。
日記とは違う。手紙は読まれることを必要とする。
問題は送る相手がいないことだ。だがまあ、いいだろう。
ここに書けば、誰かが読まないとも限らない。




今週は忙しくて疲れていたし雨だったので、今日は一日、家にいました。
買って放っておいた本を読んだり、ニュースを見たり、料理したり。
料理といって簡単なものです。野菜やキノコを切って鍋で煮るだけ。
私はキノコがとても好きなので、シメジやエノキは必ず入れるんだ。
ほんとは洗濯や掃除もしなくてはいけないのだけれど、
なんとなくそれでもうやる気がなくなって、あとはゴロゴロしてた。

昼頃、ふっと、今日はまだ誰とも話していないことに気づいてね。
ん、これはどうなんだろう。26にもなるのに一人の休日。
誰かと会うのは仕事や外出のようなハレのものになってる。
それだけじゃない。料理も洗濯も掃除も、よしっと気力がいるものになってる。
これはどうなんだろう。生活の地としてのケがあまりにも程度が低い気がする。
そう思ってちょっと午後は落ち込んでた。
疲れてても山に登ってカメラ持ってウロついてた方がよかったのかね。
でもそういう問題でもないか。どう?

写真をさ、撮りたいんだ。
夕方つけたテレビで足尾の映像が流れて、ああ行きたいと思った。
でも行って何を撮りたいんだろうね。
故郷の山々を再生させた人々の手の跡そのものの緑なのか。
巌を露出させたグロテスクな死んだ山肌の陰影か。
これは単純な話じゃないよ。私が何を見ているかということなんだ。

私はきっと、死んだ山肌を撮ると思う。
つまり私は、遠慮会釈なく人間の罪悪を映す鏡として足尾を撮る。
しかしそれは実りあることだろうかと疑問を抱くんだ。
それは私自身のグロテスクさでしかないんじゃないだろうかと。
私が人間を嫌うのを正当化しようとしているだけじゃないかと。

そう、私は人間が嫌いなんだ。
生きている人間は余計に嫌いなんだ。悪いことばかりする。
人間ばかりだ、こんなに悪いことばかりして生きているのは。
誰かが傷つくたび私はほっとする。なにか正当なことが行われたような気がして。
変でしょう? うん、変なんだ。理由なんか知らないよ。

人間は素晴らしいだろうか?
そう信じることは私にはできない。
人間はどんなこともできるものだと思う。
でもそれだけだ。どっちかというと、回り見てると嫌いになることのが多い。
自分を見ていてもそうだ。だからそんな絵ばかり撮ってる。
でもそんな絵ばかり撮りたいわけじゃないんだ。

花が好きだ。野生の花も好きだし、園芸の花も好きだ。
園芸の花には複雑な美しさがある。情熱とひとの手を感じる。
ただそれはわずかも間違えればグロテスクになるものだ。
町となるともうだめだ。あんまりグロテスクで私は感覚を麻痺させるか、
それともグロテスクなものをそれそのものとして撮るしかない。

ねえ、次の休みには足尾に行かないか。
グロテスクなものを避けて家にいる自分がグロテスクに思えて仕方ないんだ。
会ったときにはきっと何も話さないと思うけど。


-



 

 

 

 

ndex
past  next

Mail
エンピツ