終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2004年01月10日(土)

とりあえず、“ここ”でまとめをしておきたい。
バトーとは誰かまた何か。…唐突だが「攻殻機動隊」の彼である。

1:
彼の髪について書き留めておこう。
彼の髪は長い。だがきつく縛られている。

これはどういうことか。

髪が長いというのは独特のことだ。
独特の印象を与えるものであり、独特の感覚を生み出すものだ。
彼は髪が事実として「長い」ことは疑いない。
だが長い髪というものに付属する感覚や意味からは遠ざけられている。

ここにおいて彼の本質の一つが示される。
彼は“何か”だが、その“何か”の意味するものからは遠ざけられている。


2:
次に、彼の義眼について書き留めておこう。
彼の義眼は不透明で機械的だ。見ることはできる。だが見られることがない。

彼は“いない”。彼は肉体として存在しない。

では彼はどこにいるのか。人間の形をした殻の中だ。
彼は世界という事象の生起の現場とは隔てられ、そこに近づく手立てはない。
彼は外側にいる。そして視覚に留まらず彼はもっと本質的な形で外側にいる。
つまりこういうことだ。彼は本質的に変化することができない。

(ここに私はバトー=男の隠れた比喩を見る。
 男は外に精子を放出する。だがそのことによって変化=受胎することがない。
 この一事によって男は本質的に限りなく――の外側に位置付けられる。
 一方素子は人形遣いによって変化≠受胎させられる。
 そして彼女は自らの子供に言及する。映画版のセリフも意味深だ。
 男の生産性はいずれも男自身の変容を前提としない)

必然的に彼は取り残される。
彼は残される。そしてそのことによって語り手として機能する。


3:
最後に、彼について勝手なことを書きたい。

バトーは非常に両義的な存在だ。
「筋肉ダルマ」としての一見明快な外観さえ嘘。
多分、彼は苦悩することができる。だが彼は変容できない。
素子の予言通り彼女の「子供」が訪ねてきても、彼は融合を肯わないだろう。
彼にできるのは愛することくらいだ。

そうだ、苦しむような手つきで。


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