終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2003年12月20日(土)

インタビュー:少年3

 9月の日曜、朝。練習試合を1時間後に控えたブルペンで、彼はミットを構えて膝をつく。18.44メートル向こうには右腕エース。エースが筋肉の1つひとつとオーバーハンドのフォームを確かめながらゆっくりとした動きでボールを投げる。最初はやや上ずる球がやがて打席手前で伸びを見せ、それ自体生命を得たような躍動感を持ち始めるまで、投球練習は淡々と続く。彼のしわがれた声が数を数えていく。
 最速135キロの速球とミットが真横に曲がる鋭いスライダーが彼らバッテリー自慢の武器だ。『どちらか悪ければどちらかいい』というのは毎日その球を受け続ける彼の実感で、それから、『問題はいつだって制球力』というのもそうだ。とんでもない場所にボールがきたとき、取り漏らす捕手の彼は冷や汗をかく。
 
「まあね、荒れ球で配球を読ませないってのもありますよ。
 夏の初戦なんかは、ホント、見逃せばフォアボールばっかりだった」

 100年の日本野球史の中で、配球にせよ駄劇にせよ定石といわれるものが培われてきた。さらに投手向きにも捕手向きにも多くの理論や経験則が流布している。だが彼はセオリーをそのままグラウンドに持ち込むことを潔しとしない。あるいはただ単にあまり好きではない。

「例えば『外角で追いこんで内角で振らせるのが定石』ってされてる。
 だけど外、外ときて最後にまた外でも面白いじゃないですか。
 理論は人それぞれッしょ。俺は入れ知恵されたくない」

 彼の言い分を理解するには、グラウンドに立つ必要がある。幅1.092メートルのキャッチャーズボックス。塁間27.431メートル、正方形のダイヤモンド。はるかに敷衍するフィールドとその果てにそびえるスタンド。
 小学校2年生の春に初めて足を踏み入れて以来、17年の人生のうち少なからぬ部分を彼はそこで過ごした。一見して尊大とも思える強烈な自負を抱いていても不思議はない。彼の言外の言葉はつまりこういうことだ。―グラウンドで俺がすることは俺が決める。

 マスクをかぶった彼はアマチュアながら年季の入ったコンダクターだ。繊細に揺れ動くゲームの音色に耳を澄まし、エースと両ナインからなるオーケストラの旋律を導く。打席の彼は注意深い演奏者だ。詩や論文、音楽の一小節と同様、深い意味を持つ1球1球を正しく聞き分け、そのバットの一振りに楽曲を急転させる。

「自分が打席に入るときは直球か変化球かくらいのヤマは張っておく。
 狙い球がきたら、バットをあてて、思いきり振り抜く。
 バットの芯でボールを捉えたときは、変な抵抗がないんです。
 硬球って妙な打ち肩すると手が痺れるくらい衝撃があるけど、
 芯で捉えたときは重さが全部バットにのるからそのまま放り投げる感じになる」

 対県立M高校戦ダブルヘッダーの第1試合六回表、彼の打球はまさにそのようにして低い弾道を描き、左翼の頭とフェンスを越えた。彼は腕を高く突き上げてダイアモンドを駆け抜けた。
 彼は傑出した野球選手ではないが、グラウンドでプレーするのが好きだ。キャッチャーズボックスでまた打席で、彼は1人で、それともエースとともに、多くの賭けをする。サインで呼びこむ1球ごとに多くの思考と駆け引きがある。1試合のあいだには勝利と敗北を幾度数えることだろう。どれほど多くの喜びと悔しさがあるだろう。汲むことを知っている彼にとって、グラウンドは限りなく広く深く豊かだ。
 思うに、開いた手のひらのようなグラウンドは、彼にとって、よそより少しばかり天に近い。


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