終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2003年10月20日(月)



遠い昔の話をしよう。先週の金曜日のことだ。
とても遠いところで悲劇が起きた。二丁目先の交差点で。
悲劇だったよ、街路樹から一枚の枯れ葉が落ちたんだ。
悲劇だったよ、小さな虫が軸を食べてしまったのさ。
そして葉が落ちたとき、小さな虫も一緒に落ちた。
そこへ私が通りかかり、葉と虫はともに踏まれ潰れて死んだよ。
そうとも私が踏んだんだ。ああかわいそうに私の靴!と父さんが言った。


―――――――――――――――

ペンとノート。

ノートは最初、値段がつく。
これはただ単に紙だから、紙の値段しかしない。
だが最後には、値段の幅はどれだけ広がるだろう。
ということを、ふと考えた。

考えたきっかけは、友人からもらった黒い革表紙のノートである。
同じ色のゴムバンドで閉じられるので便利で、ずいぶん重宝している。
さてこのノート、見返し部分に罫線が引いてあって、
そこに名前と住所など書くようになっているのだが、
その最後の部分に「これを返してくれた人には――円差し上げます」
ということが英語で書いてある。

最初は空欄にしておいたのだが、今夜埋めてみようとしてはたと困った。
いったい、このノートに幾らの価をつけるべきか?
まだ三分の一も埋まっていないが、間違いなくこのノートは無くせない。
仕事の上で機密扱いの事項がびっちり書いてあるからだ。
しかも今後ページが埋まっていくにつれて、より重要さは増すに違いない。
幾らの価をつけたとしても、正しい価格をつけるには、
そのうち値上げをしなけりゃなるまい。

もっとも正直に価格をつける必要は必ずしもない。
拾った人が返してみようと思うだけの値段を書けばいいのだ。
もちろん私はそうした。

しかし奇妙なものだ。
価格は書かれた文字にしたがって上がるだろう。
だが私にとってこのノートは空白がなければ意味がないのだ。
たとえ十八年前の阿部さんのノートであっても。
空白と情報と価格の不条理。

実際まったく奇妙なものだ、奇妙なことだ。
生きていくとはこういうことか。


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