終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2003年10月10日(金)

イアン・マッケランが大好きだ。<何を今更

X−2のマグニートー役でのあの色気はなんだ…
「すまない、チャールズ。仕方がなかったんだ」
このへんでもうメロメロですがな。骨抜きですがな。
いいのか私、60過ぎのホモのじさまにこんなに色気を感じて。

イアン・マッケランは基本的に悪人の役が好きだと思う。
いやむしろ大好きだと思う。ここでポイントなのは「悪人」役というとこだ。
「悪」だけでなく「人」だけでなく、「悪―人」。しかも魅力的。
悪の魅力ではなく、悪い人の魅力。悪い人の色気。

冒頭に引いた「すまない〜」のセリフは、
囚人の身で薬でドロを吐かされて旧友チャールズの破滅の元になったときに言う。
この後に「なぜ殺せるときに私を殺しておかなかった」と続く。
だめだよ、もうメロメロ…。一生飼い殺しにしたい…。<こら

いや、そのへんの感想はおいといて、だ。
悪人が見せる「男気」だとか「こだわり」だとかいうのは妙にそそるものがある。
単なる悪ではなく、形容詞として人にかぶさった悪でなく、
悪い人だからこそのそうした部分。そうした輪郭。人間的悪というもの。

色気というものを「型」から外れたからこそ「型」をはっきりとみせるもの、
「こう」と思っていたものがそうではなかったという驚きのようなものとすれば、
マッケランはそのへん見事に見せる役者であり、多分「個性」でもある。
人間は「悪」におさまりきらないが、「悪い人」にはなれる。
彼の灰色がかった青い瞳はそう語るようでもある。
それに善人役より楽しそう……。<むしろ素?<こら

例えばブライアン・シンガーやP・ジャクソン監督の作品では、
彼は見事に役を演じ切り、楽しげに監督の言葉の一部になる。
しかし「どうにもなあ」という監督の作品では、
マッケランが画面の中で役以上、映画以上、作品以上のものになる。
彼は実際、別のものになり、自由自在に画面の中に存在する。

熱烈なファンの私に、問う人がいるかもしれない。
映画を見るのか、マッケランを見るのか?
どちらでもいい。彼が出ている限り、それはどうしたって面白いものになる。

しかしこの人が演じるとどの役もホモくさく…禁句か?
「ハリー・ポッター」でダンブルドアやらしちゃだめだ。
ホグワーツがハーレムになっちゃうじゃん…


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