- 2003年09月04日(木) そうか、そういうことか。 私は誰かにわかってもらいたいと思ったことがなかった。 切実に理解されることを欲求したことがなかった。 そのために努力したことがなかった。 そうか、そういうことか。 誰かにまた何かに理解されたいと欲求する、 そのモチベーションが私にはなかったのか。 いんや、多分わたしはやってみる前から諦めていた。 第一にそれは直接には何にも役立たず、 第二にそれは極めて困難で成功というものはおよそありえない。 さてそうとわかった上で、私は誰かにわかってもらおうと思っているか。 誰かの理解を切実に欲求するようになったか。 ……どーもそうとは思っていないようだ。 それは誰かもしくは何かがいないからか、ないからか。 どうもそうとばかりはいえないようだ。 自己表現というものを私は必要としたことがない。 それはなぜか。多分私は私というものがいると信じているからだ。 神というものの目から見たときに私がいると信じているからだ。 だから私は人間の理解を切実に欲求しない。 ここにいることを「知」り、それに「満ち足り」ているものが、 いったいほかに何を必要とするわけがある? だが私は写真を始めた。 私は色と形と構図と格闘している。 悔しがり、喜び、ファインダーと四角い紙の上の世界を愛している。 (だからそのセリフは正しかった。私はカメラと浮気をしている) ここに一つの謎がある。苦い問いといってもいい。 これは誰への供物だ。もしくは何への。 -
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