終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2002年11月13日(水)

宮沢賢治へのオマージュ2。

1:
「おまへのバスの三連音が
 どんなぐあひに鳴っていたかを
 おそらくおまへはわかっていまい
 その純朴さ希みに満ちたたのしさは
 ほとんどおれを草葉のやうにふるわせた
 もしもおまへがそれらの音の特性や
 立派な無数の順列を
 はっきり知って自由にいつでも使えるならば
 おまへは辛くてそしてかがやく天の仕事もするだらう
 泰西著名の楽人たちが
 幼齢弦や鍵器をとって
 すでに一家をなしたがように
 おまへはそのころ
 この国にある皮革の鼓器と
 竹でつくった管とをとった
 けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
 おまへの素質と血からを持っているものは
 町と村との一万人になかになら
 おそらく五人はあるだらう
 それらのひとのどの人もまたどのひとも
 五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
 生活のためにけづられたり
 自分でそれをなくすのだ
 すべての才や力や材といふものは
 ひとにとどまるものでない
 ひとさへひとにとどまらぬ
 云わなかったが、
 おれは四月はもう学校にいないのだ
 恐らく暗く険しいみちをあるくだらう
 そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
 きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
 ふたたび回復できないならば
 おれはおまへをもう見ない
 なぜならおれは
 すこしぐらいの仕事ができて
 それに腰をかけているやうな
 そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
 もしもおまへが
 よくきいてくれ
 ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
 おまへに無数の影と光の像があらはれる
 おまへはそれを音にするのだ
 みんなが町で暮らしたり
 一日あそんでいるときに
 おまへはひとりであの石原の草を刈る
 そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
 多くの侮辱や欠乏の
 それらを噛んで歌ふのだ
 もしも楽器がなかったら
 いいかおまへはおれの弟子なのだ
 ちからのかぎり
 そらいっぱいの
 光でできたパイプオルガンを弾くがいい」
            宮沢賢治『告別』


2:(む、書きかけ←サテンが閉まる)

(そして朝)

あなたをふるわせたのは、この世のものならぬバスの三連音。
あなたが悲痛なまでに失われないことを願うのは、この世の外の音楽。
光のパイプオルガンから奏でられる「おと」。

そしてあなたは消えようとする。
願いを抱いて消えようとする。
散華の願いを抱いて消えようとする。
あなたは置いて行くのだと言う。

あなたは、四月にはもう学校にいない。


3:
あなたは、暗く険しい道を行くのだと言う。
あなたは、四月にはもう学校にいないのだと言う。

そうして光溢れる縁側に置かれた風呂敷包みの四角い箱のよう、
言葉とかなしさを置いてゆく。

(いいかおまへは俺の弟子なのだ)

それはきちんと包まれた風呂敷包みの四角い箱だ。
わたしはじっと見つめて立ち尽くす。
光は静かに溢れる。あなたの背中も見当たらない。
それはもう、畑の小道に消えた。


4:
あなたは消えてしまった。
その行く手を暗く険しい道とするのはあなたの足だ。
しかもあなたは望んでそうする。

あなたはたびたび私の家の縁側に、
きっと風呂敷包みの四角い箱を置いてゆく。
それとも私が思い出すのか。気づくのか。
光のなか、光の中。

それは一つ一つ、優しく悲しく厳しい箱だ。
青ぐらい海の底の気配を漂わせる。
透明な魚の鱗や、星の精髄、輝く沈燐の気配を漂わせる。

孤独を思い出せと語りかけてくる。
全てのものが透明になった底にそうした青黒い世界が淀むと――
語りかけてくる。
おまえもそれを背負っているのだと。


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