終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2002年08月10日(土)

私は私の文章が好きである。
あたりまえだ、自分が「好き」なように書いているのだから。
うぬぼれや謙遜ではなく、自分自身の文章が嫌いな人は、
文章なぞ書かぬがよろしい。

文章は思いそのものではない。
だが思いをあらわそうと四苦八苦したその痕跡ではある。
そこには自ずと何かがある。
抜け殻から蝉の形を知れるように、何かを知ることができる。

願いはあるいはよいものでないかもしれない。
悲鳴はあるいは見苦しいものであるかもしれない。
だが願いそのもの、悲鳴そのものに「なり」さえしなければ、
それらは意味があるのではないか。
だからこれら私の書く文章は、私にとって意味があるのではないか。

形を見てあざけるものが、私は一番嫌いだ。
形には形で答えなければならない。
一つの木に対するときに、斧を用いては行けないのだ。
木には木で、根と幹、葉と枝を持った木で答えなければ。
私の文章は、そういうもので、ありたい。


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