終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2002年07月10日(水)

いささか陰気な歌を歌ってみよう。

1:
私は人間である。
あらゆる悪徳は私に親しい。
およそ人間の知る限りの悪徳は。
あたりまえである、私は人間なのだから。

だから、どうするか、というと、それはまた別。
人間は嘘をつける、人間は我慢できる、人間は打算的になれる。
ならば私もそうできるわけだ。
あたりまえである、私は人間なのだから。

問題は。
私がどこまで理性を通すか、感情を生かすか。
どうしたいか。
それが私の個性だ。
何を我慢し、何を我慢しないか。
何を嘘つき、何をありのまま語るか。
何を打算し、何をしないか。

二つの色、人間誰も持つ二つの領域の。
そのどこに私の個性、私の人格があるわけではない。
そのせめぎあい、その境界にある。
私はそこにいる。


2:
私は苦しむことを、悲しむことを、拒絶されることを。
また苦しませ、悲しませ、拒絶することを。
惜しまず、また躊躇わないから。

だからこの境界線は鮮明に見える。
私の輪郭が鮮やかに見える。
この輪郭がぼやけるとき、私は鮮明にしようと努める。
この輪郭だけが私だということを、私は知っているからだ。

愛することだ。憎むことだ。
好くことだ、嫌うことだ。
絶望しまた悲嘆を抱くことだ。
願いを持ち希望を抱くことだ。
それ以外に自分の形を切りだし生み出す手立てはない。

ならばそうしよう。


3:
自分が残酷であるということを知るのは、
あまり気持ちいいものではない。
が、そうだと知ることは、知らないよりよほどいいことだ。

自分が誰であるか、
自分が何であるか。
なぞのままにして、ひどく美しいものあるいは醜いものを、
映し遊ぶことは楽しいことだ。
だがそれは、要するに子供の遊び。

百までやってはいられない。

さあ、夏だ。
この大気は狂暴だ、その牙は台風だ。
両腕を広げ、雨を抱こう。


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