終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2002年05月15日(水)

私は例えば――に会う。
――に会う。
――にも。

私の視界はふいに大きくなりまた大きな人々を見る。
しかし、思い出さねばならないこと。

わたしは彼らのように刻苦精励してその視界、その世界に至ったのではない。
私に与えられている視界は、ただに私に貸し与えられている視界なのだ。
私はこの巨きな視界の中にいるが、この視界に属してはいない。

それは――という職業の寂しさだ。
自分が日々身を置いている空間と人々に属していないということは。
だがそれこそが私を自由にする。
そして自由とはもともと寂しいものだ。
それにわたしが選んでここにいるのだ、どうこう言いはしない。

ひとつのものを選ぶときに、ほんとうにそれがどういうものだと、
そんなことは始めからわかりはしない。
選んで、そして結果はただ裳裾のようについてくる。
どんな裳裾がついてきても、引きずってゆける、と、
心決めることが、選ぶことなのだ。
引きずってゆくことが、生きることなのだ。
これはことさら悲壮ぶって言うのではない。
ただそうなのだ。
わたしにとってだけでなく、この世の全てにおいて、そうなのだ。

私の仕事は、どこまでも個人プレーで。
そしてどうしようもなく結果しかない。
私は一人で、人々の中に入ってく。
私はいつでも一人だ。
そうして、そのぶん、私はたくさんのものを、見れる。
それは私の望んだことだ。
だから、それでいいのだ。

わたしがそう言っているうちは、誰にも私が失敗したとは言えない。
そうしてもののわかったひとは、そんなことは言うまい。
問題はいつだって「どのように」するかということの方であって、
どうだこうだ是だ非だというのは、ほんとうは少しも意味がない。


とりあえず、週間ノート作らねば(ちょきちょき)


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