- 2001年11月28日(水) Fly away. 1: 「きみは未来の永遠を信じるようになったんですか?」 「いや、未来の永遠じゃなくて、この地上の永遠の生ですよ。 そういう瞬間がある。その瞬間まで行きつくと、 突然時間が静止して、永遠になるのです」 ――ドストエフスキー『悪霊』より 私は、知っていた。 そうだ、永遠を、幾度予感したことだろう。 それともあれは、確かに永遠だったのでしょうか? ――瞬間において、永遠を生きることはできる。 その瞬間はひとつの高い次元となり、私たちが先へと進んでも、 ねじれの位置に存在しつづけ――永遠に存在し続けるのだ。 2: 神がかって、聞こえるだろうか? では、あなたは、耳を澄ましたことがないのだ。 遥か遠くまた限りなく近く、絶えることのない永遠を、 ――その響きを聞き取ったことがないのだ。 自らのうちに生じたあるものが永遠の存在であり、 けっして褪せることなく無音のうちに鳴り響くだろうと知ることもないのだ。 信じてください。 有限の中にも、永遠はある。 有限の作法に背くことなく永遠は光臨しうる。 3: 私はまだ、それを分析はできない。 それは分析しえないのかもしれない。 叙述しえないのかもしれない。 ただ暗示、反語によってしか、 「物語」によってしか語れないのかもしれない。 だが私は、忘れぬよう、けっして忘れぬよう、書いておこう。 4: 正しい角度――から、見る。 それは、「ほんとうの世界」だ。 私はときどき、それを――垣間見る。 なにもかもがほんとうの、その世界だ。 伸ばされるのは全てほんとうの手、 語られるのは、全てほんとうの言葉。 ユートピアでは、ないかい? そこには、不幸も幸福と同じ分量だけ、存在するけれど。 悲しみも絶望も存在するけれど。 ああ、それにしても。 ほんとうの言葉しか、なく。 ほんとうの言葉を、話せるならね。 ほんとうの手しか、なく。 ほんとうの手で、触れ合えるならね。 ――そこは、ユートピアだよ。 ねえ、考えたことはありませんか? 我々は嘘と沈黙と偽りと真実を織り交ぜて、何をしているのかと。 それは――けっして現出しえない「ほんとうの手」を、 暗示するためなのでは、なかったろうか? 外側を――なぞって。 「ほんとうの手」――「永遠の手」 ――あなたに、触れたい。 -
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