- 2001年09月08日(土) 1: 私の友人たちの間では、犬派よりも、猫派が有力だ。 中にはキャットフードの小袋をいつも持ち歩いているような猛者もいる。 私の周りにも、犬より猫の方が多い。 大学には異様に人懐こい黒猫、白猫、ミケ、トラ。 それはもう、春はあちこちでえらいことになっている。 寮のおばさんはシャムを一匹と、黒猫をダースで飼っていて、 夕方にはよく、あかんよ、と、子供を叱るように叱っているのが聞こえる。 私は、猫も好きである。 というのは、犬の方が好きだということだ。 ただし、どの犬でもいいわけではない。 犬族だというだけで好感は持つが、 私の深く愛するのは、私の犬だけだ。 それは、犬派全体の偽らざる心境だろう。 どの犬でもいいわけではなく、自分の犬だけが好きなのだ。 他の犬に対する好感は、その余禄に過ぎない。 2: 私の犬は、7月15日の生まれ。 父親は、はっきりしない。 母親は、従兄弟の家の雌犬で、名前はキャンディという。 二歳のときに最初で最後の妊娠をして、一腹、八匹の子犬を産んだ。 八匹のうち六匹は、母親と同じ赤っぽい茶色の毛皮、 一匹は手足の先に白い手袋かぶっている他、全身黒く、 一匹は、二十日鼠のように白かった。 重なり合って母親の乳房を取り合う子犬たちは、 薄暗い納屋の隅で、小さい高い声をひっきりなしに上げていた。 私は生まれたばかりの黒い、目もあいていなかった子犬を選び、 生後二週間したら貰って帰る約束をした。 もう十年も前のことになる。 やってきた子犬は、しばらくは我が家の玄関に、 もう少し大きくなってからは庭に住み、 どこの子犬でもやらかすような悪戯、失敗、一通りやって大きくなった。 食い破られたサンダルは数知れず、 庭の芝生に開けた大穴も数知れず、 春ともなれば月夜に浮かれて脱走すること数知れず。 私の子犬、私の犬だったので、散歩は私の仕事だった。 たいてい欠かさず行ったが、たまに疲れ果てたりしていて 夕方から眠ってしまったときなどは――朝方、情けない鳴き声に起こされた。 ……そして親父に叱られた。 私は中学生から高校生、大学生になった。 大学を終えて、少し遠くに下宿することになった。 犬――は、連れてゆけなかった。 3: 母は電話で私に愚痴る。 あたしがつれて散歩に行くとね、 あの犬は、少し放してやっただけですぐさま逃げ出すんだよ、と。 呼んでもちらっと振り返って、そのまま走っていくんだから、小面憎い、と。 それは実際、私の弟でも、親父でも同じこと。 あれは私の犬で、私以外の誰の犬でもないのだから。 それは、私も、私の犬も知っている、厳然たる事実だ。 そうして、それは、少々離れた場所にいても、少しも変りはない。 私は、月に一度は実家に帰る。 誰も何も言わずとも、あたりまえのよう、私は犬を連れて散歩に出る。 長い、長い散歩に。 4: 私はブラブラ、引き綱を肩にかけて歩く。 雨に濡れた獣道を外れて竹林に入り込んだり、 池に突き出す渡り板の上に足をかけたり。 虫をみつけて観察なども。 寄り道、道草、鼻歌も。 犬はザクザク、伸びに伸びた夏草の間を走る。 鎖の範囲を忘れて気軽に走る。 池にザバザバ入り込んだり、道端の草をかいだり。 マーキング、気晴らし、水分補給も。 私と犬は時々すれ違う、偶然のように。 私は前を向いたまま、ざらりと犬の毛皮を撫でて、先へ行く。 犬はすり抜けざま、道が急に狭くなったよう、私の足に脇腹を触れさせてゆく。 姿が見えなくなれば、私は口笛を吹こうさ、短く。 するとたちまち、どこかでガサガサ、茂みを掻き分けて黒い頭がのぞく。 ――ここにいるよ。 ああ、そこにいるね――。 私は犬を、あんまり見つめはしない。 犬は私を、あんまり気遣いはしない。 それでも、私は犬を、犬は私を、忘れはしない。 この距離を、自由な息遣いを、互いを所有することを、私たちは愛する。 時が過ぎても、私たちの散歩には、永遠に終りがないように。 -
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