終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年08月10日(金)

1:
「夏の夜の博覧会は、哀しからずや
 雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
 夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

 女房買物をなす間、
 象の前に僕と坊やとはいぬ
 二人しゃがんでいぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ」
          中原中也 『夏の夜の博覧会は、哀からずや』


2:
小学校一年生、入学式の帰りのことを憶えている。
私は赤に白い水玉のワンピース、赤いランドセル、青いキキララの下足袋。
足止めを食らった踏み切りの前に、ラーメン屋があった。
そのショウウインドウを見た。私がいた。

「私が、ここに、いる」

そう思った。私はにやっと笑い、すぐに顔を背けた。


3:
小学校六年生のときに、ふいに、イヤな感じを覚えた。
なにか、呼吸のうまくできないような。
体の中に、なにかが蟠っているような。

息を吐いた。できる限り。
それでも、肺の内側に、黒いタールのようなものがべったりと張り付き
出てこないような。吐き気なのに吐けないような。

足掻いた。気持ち悪かった。涙が出た。
じたばたと、暴れた。それ、は、出て行かなかった。
今でもまだ、私のなかにあるのだろう。


4:
ここ数年、私の寂しさは、楽しいはずの時にばかり出てくる。
賑やかなはずの場所にばかり出てくる。
そして私の上に居座って動かない。

私は寂しさに憑かれ、表情を浮かべることもできなくなる。
言葉は切れ切れ、上の空。
いつもなら簡単にできることさえ、できなくなる。

ただわけもなく寂しく。
できるだけはやく一人になりたくて。
一人になれば、泣きたいように思い、でも泣けやせず。


5:
回りで人死にが出たことがある。
祖母が二人、叔父が一人、大伯父が一人。
祖母たちと大伯父は大往生だったが、叔父は、事故だった。

母たちは病院に詰めていた。
私たちは電話の音を待ちながら、居間に座っていた。所在無く。
電話が鳴った。私が取った。叔父が死んだと知らされた。

笑いそうだった。部屋にかけこんで、笑った。
大声で笑うようなそれではなくて、顔がその形になりたがった。
得体の知れない、筋肉の勝手な動きだった。


6:
私には何かが欠けている。
私はどこかが歪んでいる。
私は何かが多すぎる。
私は何かが少なすぎる。


7:
それがどうした。

私は私だ。
人間一般という鋳型があるなら見せてみるがいい。
もとよりそんなものは歯牙にもかけないけれど。

私の寂しさも、私の歪みも、みんなひっくるめて私だ。

全て、振幅を許すものだ、人間という定義は。
寛容を欠いたものだけが狂人と呼ばれよう。
自らに問い掛けることをやめたものだけが愚者と呼ばれよう。

―――――――――――――――――――――――


しばし、都合により旅に出ます。
帰還は、遅くても九月頭には。
愛する人々に、しばしの別れを。
あ、別にショックなことがあったわけじゃなく。
失恋したわけでもなく。
論文に追いつかれただけのこと。

ご心配なく……。


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