終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年07月28日(土)

唐突ながら、PL日記に変更である。

このところ、ロクなものを食っていない。
「とんがらし麺」シリーズ、ぶっかけ素麺(ネギなし)、
学食のサラダバー、多少ゼリー類。
この一週間のメニューは以上である。
金がないわけではない。

金を使うのがイヤなのである。
外に出るのがイヤなのである。
食事のことを考えるのがイヤなのである。
何を食ってもどのみち腹は減る。
ニ三日食わなくても死なない。
ならば一日三食、食に心を労する時間は無駄である。
……と言っていたら、年間で18kgほど痩せてしまった。

しかも、痩せる、というのはまたぞろ厄介なもので。
服が皆ユニクロ製品になったってのはまだ些細なこと。
一年ぶりに会う悪友どもが、皆口をそろえて
「痩せたねー。ダイエットしたのー?」とくる。
誰と会っても話題がそればかりだから、もうウンザリしている。
実家に帰れば、母親にペキンダックのように食わされる。
これまで、太っている、ないしは、太り気味である、のが
常態であったため、若い男の視線などというものを
気にしたこともなかったのに(それもどうかという説もある)
なんとなく、回りの態度が違う。
くだらないと笑いつつ、なかなか面白い。
が――面倒くさい。

こちとら好き勝手に本ばかり読んで生きてきたのだ。
口紅も化粧もパンストもガードルもドレスも恋心もわからない。
毛抜きは痛い、カミソリは痛い、靴も痛い。
女の子らしい振舞い方などわからない。
これで彼氏などできた日には、目を覆う有様だろう。
横着の結果がこれだ。

自分として生きることは簡単だ。
何某らしく、となると、とたんにややこしくなる。
それとも、この腹立たしさは、
一つの「らしさ」から別の「らしさ」へ
飛び移るその間の混乱に過ぎないのだろうか?
つまり、「女の子らしくない女の子」から
「女の子らしい女の子」という範疇へ?

形ないものである私が、外から見え、外からの位置付けを受ける
ひとつの形あるものだということの、矛盾を思う。


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