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■ いらないお札、交差点の子ども。
週末にマシンゴ方面へ出かけるので、どんなオフロードでもがんがん疾走してくれる(させている)愛車カローラ(いまでは、バックミラーに「ニャミ様」つき。過去の日記参照)にディーゼルを入れるべく、ハラレを夕日に向かって西へ西へと進むのであった。
今日のBGMは、昔初めて南アフリカを訪れたときに買ったいちおしのCD。ヨハネスブルグのジャズである。ベースラインという、ヨハネスブルグのライブハウスの録音。これをわたしはいつも聴いてきたし、なんだか昔のことを思い出したりしてきゅんとなる。
わたしがベリーダンスにうつつをぬかしている間にも、ジンバブエの経済状態はメルマガやブログに書いている通りにひどいもので、街にはストリート・チルドレンなどがたくさんいて、しょっちゅう声をかけてくる。 交差点には必ずといっていいほど彼らがいて、赤信号で停車する車に寄ってきては窓ガラスをたたいて金をせびる。 いわゆる物乞いという言い方はしたくないけれど、そうだ。
5歳にもなっていないんじゃないかというくらいに小さな子どももいれば、ティーンエイジャーのような子もいる。大人の女性が赤ん坊を連れているというケースも珍しくない。
哀れそうな顔をする子どももいれば、にこにこ笑っている子もいる。いずれも、身なりはあまりきれいではない。(まれに比較的ちゃんとした格好の子もいるが)
もらって当たり前のような顔をされると、やはり気持ちの良いものではない。そして、運転マナーが悪いひとの多いジンバブエでは、小さな子どもが車に跳ね飛ばされやしないかとひやひやする。 ここでは、道路を平気な顔して横断したり(どう考えても間に合っていないし)、交差点で物を売ったり金をせびったり、新聞を売ったりするのが当たり前になっている。あれだけスピード違反したり交通ルールなど気にもかけないドライバーが多いのに。
インフレが激しいので、小さい額のお札はあまり使えない。財布(実際には財布という代物には札束は入りきらないので化粧ポーチのようなものを使用している)のなかにたまってくると非常にかさばるので、このような子どもにあげてしまうことも、まれになくはない。
あの子たちは、こうしてもらうことを当たり前と思って、ありがたいとも何とも思わなくなるのだろう。 そして、もらえるから、また道路へ戻る。
ストリート・チルドレンとは言っても、ほんとうに路上に暮らしているのかといえばそうではないだろう。そして、組織ぐるみで物乞いをしていたり、借り物の赤ん坊やニセモノの視覚障害者を連れたりしている場合もあるであろう。
ひとりひとりの顔を見て、哀れんでいてはきりがない。 ほんとうに、たくさんいるのだ。
いまのわたしには、物乞いの要求に首を振ることしかできない。 安易に金をあげることもすべきではない。
社会に生じてしまったひずみのようなものは、その狭間に翻弄される人々の生活は、そう簡単には変わることがないのだ。
いくら同情しようとも。
2007年06月15日(金)
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