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■ 誰かが事故にあった場合。
5月に交通事故に遭って以来、気付いたことがある。
まず、周囲のひとの反応の違い。 ものすごく心配してくれるひと。けっこうたくさんいてくれて、申し訳ないくらいでうれしく思った。人間の温かさも知った。 これは、親しい親しくないに関係がなかった。他人の優しさに、なんども涙が出た。
それから、事故自慢をする人間が結構いる。 自分もこんな事故に遭った、こういうこともあった。 これは、こちら側もすんなり受け入れられる場合と非常に悲しい気持ちにさせられる場合があった。 でも、たいていの場合、はっきり言って精神的にかなり不安定なときには、他人の事故の話がききたいのではなく、自分の恐怖について語りたいのである。ここをわかってほしいと思った場面があった。 本当にわたしの気持ちを癒してくれようと語ってくれているひとはちゃあんとすぐわかるしありがたく思う。すんなり受け入れられる。 でも、そうじゃないひともいる。なんだ、あんたも語りたいだけか、と思って、ますます心が辛くなるだけだった。
ことをずいぶん軽く受け止め笑い飛ばしたひともいた。 恐ろしい人間だと思いぞっとした。そして、等しく傷ついた。 わたしだったら、どんなに嫌いな人であれ、あんな事故に遭ったときいたら非常に心配をするだろう。そして生きていたことに胸をなでおろすだろう。
それから、メルマガやサイト・ブログ等を見ているひとと見ていないひとがよくわかった。これはまた、親しさなどに関係が無く、見ない人間はみない。そう思うと、サイトを6年間継続しているこの事実がちょっぴりむなしくなる。見るね、と言ってくれたときのことなどは、こちらは鮮明に覚えているからだ。 その代わり、直接知らないひとでも、きちんと見てくれているひとがいるのだとうれしくなった。温かいおことばもいただいた。
こういうことも、心に積み重なっている。 少しだけ、人生を客観的に見ているような気が、しなくもない。
車のヘッドライトが怖い。 左手の傷も痛むし、ドトールのミラノ・サンドもかじりつくことができない。
それでも、あのときこの傷を見て、ああ、よかった、神様ありがとう、と思った自分のことを思い出す。これだけで済みました、と。
2006年07月02日(日)
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