+ INDEX + Back + Next +
Montgomery Book

第3章 (7) 旧世界へのメランコリック
 モードの先祖たちは旧世界から新世界へ船で移住してきた人々だった。「運命の紡ぎ車」によると、父方の先祖はスコットランドのアーガイル、夫ユーアンの先祖は内ヘブリデス諸島のスカイ島出身、ウルナー家の出身である祖母は故郷のサフォーク州ダニッジで12歳まで過ごしたのであった。

新大陸カナダやアメリカをめざしながら、何らかの理由でこの島に降り立った人々の末裔は、島に根づいて新しい伝統を育んでゆく。父方の祖父、ドナルド・モンゴメリは州議会議員を34年、島選出の上院議員を長く勤めた名士だったし、母方の曽祖父ウィリアム・マクニールは州議会議長だった。

 ことにスコットランド高地人(ハイランダー)を先祖に持つということは、日常的にも文学的にも選民的なステイタスがあったようで、旧世界との血の結びつきはしばしば日記や手紙、作品に登場している。ことにP.E.I.の3つのクラン(スコットランド伝来の一族の呼び方)と言われるように、島の勢力地図はそうしたスコットランドや英国系移民の人々が政治的優位にあり、フランス系住民は島に定着しなかったという歴史がある。モードが密かに誇りに感じていたのは、1508年以来、スコットランドのモンゴメリ家に称号として伝わる「エグリントン伯爵」との遠い血の絆だった。

 「パットお嬢さん」では、銀の森農場のジュディばあやが若い頃、スコットランドのマクダーモット城でご奉公していた思い出を折に触れてパットたちに話して聞かせる。そこには妖精もいたし幽霊も出たし、魔法の鏡まであったのだ。ジュディばあやが語る、虚実ないまぜたヴィクトリア女王陛下と子どもたちの話は、旧世界から移ってきた人々の、女王一族への変わらぬ忠誠を物語る。

わたしは頭をある角度にもたげずにはいられないし、またりっぱな伝統と優秀な頭脳をもった一世紀におよぶすぐれた高潔な人びとを自分の背後にひかえていることは素晴らしいと思わずにいられない。

エミリー・バード・スター/「エミリーはのぼる」

 あこがれのロンドン、私がこの古い都会を最初に訪ねて思ったのは、ここはヴィクトリア女王の街であるということだった。まだまだ、エリザベスじゃないのだ。日本ではほとんど存在すら忘れられている女王様。モードの生きた時代は彼女の治世(在位1837-1901)を含んでいた。ヴィクトリア朝の繊細で装飾過多のロマンティックな文化風俗に、妙に似合わない女王様。

 旧世界と英国領カナダの盟主にして、敬うべき対象としてのヴィクトリア女王の肖像写真は「ストーリー・ガール」の変人、ペッグ・ボウエンの家にも掛かっていて笑いを誘う。また、モードは子どもの頃からヴィクトリア女王を鈍感だと思っていた、と「運命の紡ぎ車」に書いている。

 英国のヒロインといえば、王位を狙ったとして夫とともに処刑されたレディ・ジェーン・グレイにも思い入れがあったようで、モードは彼女にちなんだ記述をあちらこちらで残している。「青い城」の主人公ヴァランシーの恋人、バーニーの愛車も「レディ・ジェーン」だし、当のマクドナルド(モンゴメリ)夫妻の愛車も同じ「レディ・ジェーン・グレイ」である。乗り過ぎてよく山の中で動かなくなったというこの車でオンタリオ州リースクデイルからP.E.I.まで家族旅行をしたこともあった。「ストーリー・ガール」のセアラ・スタンリーもまた、幼い尊敬をこめてレディー・ジェーン・グレイの名を口にしている。

 1911年の春浅い3月、87歳の祖母マクニールが死去。モードと祖母が住んでいた家も不本意ながら取り壊され、モードはパークコーナーに住む母の姉、アニー・キャンベルのもとに身を寄せる。これで、晴れてモードは結婚できることになった。いなかに暮らす独身女性の肩身の狭さについては、察しがつく。あれから100年近くたとうがどうしようが、女には保護者が必要なのだ。

 すでに人気作家となっていたモードとユーアン・マクドナルド牧師は7月5日にパーク・コーナーの家で結婚式を挙げ、7月8日からメガンティック号でスコットランド、イングランドへの新婚旅行に向かう。

 待ち望んだ結婚についての感慨は、必ずしも幸せなものではなかったと伝記作家と日記は伝えているが、その頃の日記はまだ日本語で出版されていないし、私は疑り深く、それは「悲喜こもども」で引き分けというとらえ方をしている。36歳でベストセラー作家としての名声もありながら結婚するということはどんな感じがするものか、その複雑な感情の揺れまどう記述は、読まれることを想定して書き直された日記が妥当かどうか納得できないのだが、それはさておき。

 スコットランドでは生涯の文通相手マクミランと、生涯一度きりの邂逅を果たした。「書簡集(1)」には、旧世界で泊ったホテルの名が記されている。グラスゴーのセント・イーノック・ホテル。ロンドンのラッセル・ホテル。その名前には見覚えがあった。

 95年の夏、二度目のロンドン旅行で私と友人はある朝、道をまちがえてしまった。暑い一日を予感させる朝。ラッセル・スクェア駅を探しながら歩いていて、古いものがあふれるロンドンの中でもあまりに古色蒼然としたホテルがあったので写真を撮った。それがこのラッセル・ホテルだった。

 少し離れたところにはディケンズの起居していたアパートなども残っているくらいだから驚くにはあたらないのだが、「生身の」モードがそこを訪れていたという事実は感慨深かった。彼女が目にしたものと同じものを確かに見たのだ。その時はそんなこと忘れていたので、じっくり観察もしなかったのが悔やまれた。

 そして、5年後、ミレニアムに三度目のロンドン訪問。ラッセル・ホテルでの滞在を選べるフリーツアーが見つかり、ホテルの希望が通ったのだった。(その間、この本がいかに進んでいないかの証明でもある。)ホテルはここ数年大規模に改装しているというが、外から見ると5年前と違わない古さである。

 あれこれ準備する時間もなくて、書簡集に載っている、1911年9月19日という、モードがラッセル・ホテルから出した手紙の日付だけを頼りに、ホテルにモードの泊った記録について確認してみた。フロントの若い女性は「アンは私も好き」とつぶやき好意を示し微笑んでくれたものの、問い合わせてくれた結果、古い記録は残っていないという答えで、もしやという期待もあったのでがっかりした。100年ものあいだ、宿帳を保存するには大きすぎるホテルである。その間、戦災もくぐり抜けたのだ。

 このホテルは英国人作家ヴァージニア・ウルフが文学の集いに利用していたので、レストランにもその名がある。モンゴメリがハネムーンで泊まった、などということはどこにも記されていない。ラッセル・スクエアに面して遺跡のごとくそびえ立っている、きわだって古い、赤い石造りのホテル。モードとユーアンが訪れた当時は、ぴかぴかに新しい、できたばかりのヴィクトリア朝後期の建築物だったというのに。1階の大ホールや食堂、ロビー、バー、2階への階段などは、往時のおもかげを残していると思われた。

 ラッセル・ホテルはホワイトスターライン社の所有だった時期もあり、タイタニックの一等乗客たちが、かの恐怖の後悔の出発前夜滞在したのだと、部屋のパンフレットに書かれていた。

 ちょうど大ホールで古書市が開かれていたので入ってみた。そこでも、市内の古書店でも、期待した古いモンゴメリの本は見つからなかったが、この古書市で目に留まったのが、「ハバードマザー&…」とタイトルにある漫画風の古い絵本だった。これはきっと、エミリーが着せられていた「ハバードかあさん」のスタイルなのだろうと思いほほえましく眺める。収穫といえばそれくらいである。

ウィンザー城に出かけた日、飛行機を見ました。それを見たときの気持ちをあなたにお伝えすることはとてもできません。夕焼け空を横切って、大きな鳥のように優雅に滑空していたのです。わたしは、本当に、感動のあまり震えました。

L・M・モンゴメリ/「モンゴメリ書簡集(1)」

 かつてロンドンの空を同じように漂う飛行機に私も不思議な感慨を抱いたことがある。古い街並みから見える飛行機は、動力で進んでいるようには見えなかった。なぜ、この地ではあの重い物体があんなに優雅に空を滑ることができるのだろう。日本の飛行場に降り立つ飛行機は決してああいう飛び方はしない。空気の湿度が違うからだろうか。モードの見たのはジャンボでないことは承知しているが、あの飛び方の違いは今でも謎である。

アボッツフォードのスコットの記念館には、かつて一度は見たいものとひとり夢想していたスコットの遺品の数々があった。部屋という部屋は騒がしい群集でいっぱい。舌のよくまわる案内人の長口舌。自分の家がこんなに奇妙な観光客に踏みにじられるとは、スコットもまさか考えてもみなかったろうに。

L・M・モンゴメリ/「険しい道」

 皮肉なことである。モード自身も、この当時すでに自分の故郷がそうなるという危惧を大いに抱いていたにちがいない。そしてそれは彼女が生きている間に現実となった。私が意を決していまだにPEIへ行けない理由のひとつでもある。現地でお決まりの日本人観光客になりたくないのだ。英語が話せればましだろうが、片言しか話せない。湖水地方にあるビアトリクス・ポター(ピーター・ラビットの作者)の住んだヒルトップ農場も同じ目に遭っているが、こちらはナショナルトラストの啓蒙という性格上しょうがない面もある。

キャヴェンディッシュの昔の家の果樹園以外には見かけたことのない小さな青い花が、廃墟(注:ノーラム城)のいたるところに咲き乱れていた。キャヴェンディッシュのその花は曾祖母のウールナーが祖国イギリスから持ってきたものだったのだ。この花をいま見ながらわたしは苦痛とよろこびが混りあった奇妙な気持ちにひたっている。

L・M・モンゴメリ/「険しい道」

 父祖の地である旧世界で、モードはなつかしい小さな青い花に再会し、そのことをたびたび記述している。この花は移植に弱いらしく根づかず、また、家の果樹園にしか咲かず、訪れる客人も珍しがっていたという。新大陸をめざした人々の一部が降り立ったカナダのはずれの小さな緑と赤土の島で、この花はどうして生命をつないだものだろう。祖母のウールナーが愛していた名もない花は、彼女のそばで生きつづけることを選んだのだろうか。
参考文献
2001年08月20日(月)


Montgomery Book Top
Keika