オミズの花道
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『 武士の道・ひとの道 』
2004年01月28日(水)
遅ればせながら
『たそがれ清兵衛』
を観た。
ラストサムライと根幹は一緒なのだな。驚いた。
両作品の時代考証が近年同士であることも大きいのだろうが、最後にドンと据えてあり訴えかけてくるその思いは、今の日本の国にこそ必要な、最も大切な精神なのだ。
山田洋次という監督は今更ながらに凄いなと思う。
人間が平凡に日々を送る日常、その日常の中に存在する『揺るぎようの無い美学の走る瞬間』や、『必然性が産み出した心の結晶』を、この監督はなんとも鮮やかに切り取る。
決して奢る事無く謙虚に徹し、我々に身近なごく当たり前の風景から描写するのは、派手なものよりもずっと難しく、何度も何度も練り直さねばならぬ行為であろう。
彼の偉大な所は、こういうところなのだと痛感した作品だった。
表現方法というのは面白いもので、表現方法手段が単純になればなるほど複雑な計算が必要になる。私は映画自体を技術の産み出した芸術だと言い切ってはばからない人間だが、時に『手段が多すぎる難しさ』を使いこなせないゆえに、散漫して収拾の付かなくなったものを観る。そしてそのたびに、ひどく疲れる思いをするのだ。作り手も観る側も実にくだらん銭の使い方だな、と。
絵画があり、音楽があり、文学がある、三大芸術の集大成とも云える映画という芸術は、総合芸術であるゆえに、要素が溢れかえっているゆえに、散漫してしまいがちになるのだろう。
伝達手段が鮮明であるがゆえ、この諸刃の剣を使いこなすのは至難の技なのだ。
山田洋次監督は迷える日本人に、一定方向の指針を打ち出した。
昔から彼等芸術家の役割とは、一般庶民に解りやすく深く物事を伝える事であったのだから、そういう意味で彼は『文化を担う芸術家の使命であり役割』を立派に果たしたと言える。
ラストサムライもたそがれ清兵衛も、武士道というツールを用い、自分の中の『何に』生きる道を探すか?殉じるべき瞬間はどこか?がストーリーの構成になっている。
組織の中で迷い、武士として生きねばならない悲しさに翻弄され、それでも己の中の信念を追求し、生きる道を探るのだ。
ラストにおいては『信じるものの為に死に逝く』姿と、『信じるものの為に生きようとする』姿と、対極の展開になっていく。
そう、そこまでのストーリー構築はとても良く似ているのだが、家族の為に、己の為に、貪欲に『生きよう』とする清兵衛の方が、私にはよほど『武士道の根幹に殉じた男』の様な気がしてならないのだ。
ここまで要素を斬り、削り、簡潔に潔く導く。
物を作る人間の永遠のテーマであるその行為を、こうまで鮮やかに見せつけて来る。
山田洋次、彼こそがサムライだ。
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