オミズの花道
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『 三人称の理念 』
2003年11月06日(木)




後ろを振り返ってはいけないとは思うが、前に在籍していた店がやはり閉じた。

新地の店の帰りに少し顔を出して、そこでその日が最終日なのを知った。
居合わせたお客様とお酒を酌み交わしながら、皆の前途を祈る。


ママにはマメに手紙で近況を知らせている。
かつての同僚ともマメに連絡を取り合っている。
未収も清算したし、前店舗には何の借りも無い。

個人的にはそんな風に何の問題も無かったりするから、店が無くなったって悲しむ必要は無いはずなのだけれど・・・・。

だが、やはり淋しいものだ。


もう別天地に進んでいる以上、私は後ろを振り返ってはいけないし、前に進むことが義務だし、お世話になった方達への何よりの恩返しなのだが、・・・・今日だけは泣いてもいいと思う。

北新地のお客様も、私のかつての在籍店を聞くと、『ああ、伝統のある店だったよね、そう、潰れたのか。ミナミも厳しいな。』とか『昔上司に連れて行ってもらったのを覚えているよ。あの当時ミナミで一番高い店だったな。ミナミで数少ない「ステイタスを持つ店」だったんだ。』とか『あの店の出身のママはキタにもミナミにも沢山居る。今もある●●のママもそうだね。教育がしっかりしていたし、あのママは沢山の人を育てた。大きな母の火が消えたね。』と言って下さる。

中にはお父様に連れられて飲みに行ったよ、とか、付き合ってた女性が勤めていたんだよ、という、お客様自身の思い出が絡む話とかがあったり、隣に座っていたのが歌舞伎役者の●●で吃驚したとか、今は亡き大物政治家が頻繁に来店していたとか、相撲力士が椅子を壊したとか、私が知らない話も沢山出てきて面白い。



最終日、辛くて書けなかった事がある。
馴染みの店客が、何十年も座り続けたその席で、繰り返し繰り返し『・・・・淋しいなあ。』と呟いていた。
もうすでに前に進もうとしている私を、恐ろしい程の力で引き戻す情景。

『いつもこの席だった。何十年もね。
 真剣に付き合った女性も居たし、死んだ友人ともここで飲んだ。
 ここで仕事に結びつく出会いもあったし、利益にもなった。
 ここは僕の人生の一部を彩る店だったんだよ。』

それほどに、意味のある店であった。
存在する、そのものが。


その言葉を聞いた時に『店が在る』と云う事の、本当の意味と意義が解ったような気がする。
お客様の想い出を分かち合う、人生の一部を彩る、酸いも甘いも全てひっくるめて、お客様のそんな思いを背負って存在するのが『店』の本当の役割なのだ。

人という単体の集まりでしか在りえないか、それとも想いを背負った生ける物になるか、それが本物の『店』であるかないかに別れる道筋なのだと思う。


とても大きい事を私は学んだ。

三人称の理念の存在。
形の無いものでも、こうやって第三者により魂を持つものがある。

まるで一枚の絵画のように、一片の詩のように、音楽のように、在る。
芸術と呼ばれるものが出来上がって行くように、人がそこに居る限り、他者によって綴られるものの存在。

それが経営において如何に大切なものであるか・・・・。


個人的な世界観の構築は大切だし、それがある程度身についているとも思っていた。
だが、こんな風に三人称の理念を体感したのは初めての事だった。

この事はこれから先、一生忘れないだろう。


私がこの仕事をしている以上、財産とも呼べる物を私は得たのだと、今になって・・・・ようやく、ようやく、悟る事が出来た。

人はいつも物事が終結した時にしか、全部を見ることは出来ない。
それほどに人間という生き物は愚かで不器用だ。
そんな中で愚かなる者が唯一出来ることと言えば、先人の築いた思いの礎を見失わない事、それだけしか出来ない。


忘れないように。
あの魂を持った店の存在を。
持たせた人達の存在を。


そして何よりも、
其処に居た自分自身を・・・・。







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