ケイケイの映画日記
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2024年03月01日(金) 「落下の解剖学」




昨年度のカンヌ映画祭パルムドール受賞作。カンヌの受賞作は相性が悪くて、いつもなら食指は湧かないのですが、この作品は受賞を聞いてからずっと待ち遠しくて。期待に違わぬ作品で、私的には傑作だと思います。監督はジュスティーヌ・トリエ。

フランスの人里離れた、雪深い山荘に、夫婦と11歳の視覚障害のある男子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)が暮らしています。ある日、犬の散歩から帰ってきたダニエルは、ベランダから転落した父(サミュエル・テイス)を発見します。当初は事故死だと思われたのが、一転して流行作家の妻のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が容疑者に。果たして真相は?

冒頭の事件から直ぐ、映画は法廷場面に。やり手の検事(アントワール・レナルツ)に対して、サンドラは旧知の弁護士ヴァンサン(スワン・アルロー)を雇います。丁々発止のやり取りは、緩やかなテンポのながら、夫婦の傍からは伺えぬ内情を浮き彫りにします。

私が特に、あぁそうかも?と感じたのは、冒頭で女子大生が、サンドラにインタビューする場面。わざとずらした返答をして、女子大生の様子を楽しんでいるように見えました。サンドラはバイセクシャルだと明かされ、彼女を誘っていたと、検事は言うのです。言われてみれば、ザンドラは艶めかしかったように、私の記憶は上書きに。。表面では不確かな事は、見方によれば真逆の方向へ行ったり、記憶は検事や弁護士の言葉に誘導されていく。決して捏造ではないのが、ポイントかと。「私は彼を殺していない」と言うサンドラに、ヴァンサンは「そこは重要じゃない。君が人の目にどう映るかだ」と言います。何度も法廷場面で目にする光景ですが、この辺は良く描けていました。

そしてびっくりしたのが、女性の裁判長。裁判内容がどんどん進むと、ダニエルの精神が耐えられなくなる危惧しと、傍聴を欠席する事を勧めます。。「僕は大丈夫です」と答えるダニエル。「あなたが大丈夫かどうかを気にしているのではない。あなたの感情を気にする状態が煩わしいのだ」的な返事をする裁判長。充分今でも傷ついているはずの子供に対して、この言い草はないでしょう。日本でもこんなに冷酷なのかな?このセリフは、裁判長に性別は関係なく、女性的配慮を求めるなという事かな?

ラスト近くに再現される、夫婦喧嘩の様子。そこには普遍的な夫婦のパワーバランスが描かれます。要するに、お金を稼いでいる方が優位だという事。妻に存分に書かせるため、自分は教師として働きながら、家事や育児を担う夫。「僕は日々君に合わせて暮らしている!」と怒りを込めて告げる夫。彼は自分を殺していると感じている。それは昔の自分を見ているようでした。夫の言葉に、自分を重ねる女性は多いのじゃないかなぁ。

サンドラは女性と不倫経験もある。いやいや、もうどこかのダメ亭主みたいじゃないか、サンドラ。女学生とのインタビューを、夫が邪魔する様子など、夫は妻の性的嗜好は女性だと感じている。ハンサムなヴァンサンの好意も受け入れない様子など、私もサンドラは、バイセクシャルというより、レズビアンなのかなと感じました。自分の妻を寝どる相手が女性というのは、夫に取って屈辱だったろうとも思います。

夫は本当は自分も小説を書きたいのです。しかし、ある事から、才能の無さを突き付けられ、サンドラはそれを軽々と超えてしまった。ダニエルの視覚障害も、夫には遠因があります。その償いも込めて、家庭に置いて内助の功を選んだのでしょう。しかしそこに遣り甲斐を見いだせず、優秀な妻に、どんどん水を開けられるのは、時間の無さだと決めつける。それは妻のせいだとの他罰的思考は、自分の通ってきた道なので、本当に本当に理解出来ました。 


 夫は伝統的な旧来の男女の在り方に、自縛されてはいなかったか?同じように息が詰まっても、私が病まなかったのは、妻であり母であったからです。私はこの夫と私は、表裏一体ではないかと感じました。

対する妻は、「私はセックス無しでは生きられない!」と言います。知性的ですが、地味な容姿のサンドラからこの言葉が出ると、とても生々しい。多情なのでしょう。夫婦はセックスレスだったのかと思います。私はサンドラが異性として初めて好きになったのは、夫だと思いました。自分には無縁だと思っていた普通の家庭、妻として母としての人生を送るのだと、きっと結婚当初は希望に満ちていた事でしょう。

しかし、妻として母として、理想とは違う方向に家庭は進み、おまけに息子は事故で障害を追う。経済的な大黒柱となってからは、段々と夫に対して無自覚に尊大になっていたのでは?。端的なのは、ドイツ人の妻とフランス人の夫は、家庭では共通の第二外国語である英語で話す。妻は夫婦は対等だからと、お互いが歩み寄っていると思っていますが、夫は「ここはフランスだ!」と言い返します。往々にしてある、このボタンの掛け違い。これを掛け直して整えて行く事が、夫婦の厳しさであり、醍醐味なんだよ。ここで片方、もしくは両方が降りてしまえば、離婚しかありません。

ダニエルを演じる、ミロが素晴らしい。澄んだ眼差しから、公平に両親を見つめる彼。何が事実なのか、必死で記憶を手繰り寄せながら、自分に出来る精一杯の行動を取ります。両親の夫婦としての側面に惑わされず、自分の親としての敬意を保ち続け、息子が両親を見守っているのです。ダニエルの聡明さと純粋さに、何度も涙ぐみました。障害に負けず、こんな良い子に育っているのは、両親ともが、頑張ったからじゃないの?私は強く二人に、そう言いたい。

ザンドラ・ヒュラーも、超素晴らしい!何だか得体の知れない人ですよ(←褒めている)。この得体の知れなさのお陰で、真相はどうなのか、最後まで展開に気を抜けませんでした。

夫婦の深淵に迫った、知的で繊細な感性を持つ作品です。ミステリー仕立てで現代の夫婦関係を映しながら、普遍性を感じさせる脚本が、本当に秀逸。夫殺しの嫌疑をかけられた妻という、スキャンダラスなプロットを主軸に据えながら、苦いけれど、血が通う作品です。カンヌで賞を取った、ワンちゃんの好演も見ものです。





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