ケイケイの映画日記
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2023年03月24日(金) 「茶飲友達」


高齢女性のコールガール組織と言うと、物々しい感じですが、内容は人生の黄昏時の人よりも、若い世代の生き辛さの方が強く感じました。二方哀歓に満ちて描いていて、ところどころ、違うけどなぁとも感じましたが、総じて力作です。若い監督が、本当に頑張って作っているなと、感心しました。外山文治。

風俗業界に身を置いていたマナ(岡本玲)。新聞広告に「茶飲み友達募集」の広告を出し、会員を募集していました。しかし中身は、65歳以上の女性たちを「ティーガールズ」と名付け、コールガールとして、高齢男性の元に派遣していました。若いスタッフと共に、マナは「茶飲友達」で働く人々を「ファミリー」と呼び、本当の家族のようにしたいと願っていました。

冒頭、妻に先立たれた老人(渡辺哲)が登場します。うらぶれたお爺ちゃんが、ティーガールズとの逢瀬で、みるみる若返り、生活に張りが出来たのか、身だしなみが整う。それはガールズも一緒。両親の介護が終わり、虚脱状態の松子(磯西真喜)は、マナに勧められこの仕事を始めて、美しく変貌していきます。

年齢的に男性には、バイアグラのような薬を勧めるのに苦笑いす。あんなの医師の処方なしに、勝手に渡さない方がいいけどね。事故が起きたらどうするかなぁ。出来なくても、男性にとって女性と睦む事は、人生の潤いになっているのが解ります。女性も同じ。年齢的に女性としての性は卒業する年齢ですが、それでも「女性」として扱われ、求められる喜びも、作品からは感じました。

でもね、男性はさておき、女性は松子とパチンコ依存症のカヨ(岬ミレホ)の描き込みは良かったのですが、他の女性たちは、家族がいるのか、今はどんな生活をしているのか、皆無。華やかに、したたかに、お爺ちゃんたちを手玉に取る様子は、若い頃から水商売かな?と思わしますが、その辺はセリフで一言あってもいいかも。そして、老いも若きも女性が身体を売るのは、孤独だからではなく、金銭的な理由が一番じゃないかな?この辺は、作り手と私には見解の相違があるみたいです。

カヨの、嘘はつくわ、泣き落としするわ、何でもするからパチンコのお金頂戴!の様子は、依存症の姿をとても上手く映していたと思います。私はガールでは、彼女の描き方が、リアルで一番心に残りました。彼女の依存症を知りながら、結局は甘い若いスタッフの様子も、依存症の怖さと、本来での「家族」の意味を知らないと感じます。

若いスタッフたちは、家族に恵まれたとは言い難い、行き場のない子もいます。その子たちに居場所を提供し、姉のように振舞うマナも、実母とはいがみあっている。マナは孤独な者たちから信頼を集め、慕われているのが解ります。血縁を超えた、「ファミリー」と言う名の、ユートピアを作りたいマナ。でも、winwinの関係の老女と若者たちの笑顔から、私にずっと付きまとう、居心地の悪さは何だろ?

ティーガールズの中では、松子が主だって描かれます。こういう背景の人は、まず狙われるのは宗教じゃないかな?そう思うと、この「ファミリー」はマナを教祖とした、宗教と同じような仕組みに感じました。売春のお金はお布施、ティーガールズは伝道師、スタッフだちは自分たちを錬金術師だと思っている。

マナは言います。「正しい事だけが幸せではない」と。確かにそれは一理あり。正しい事しか認めない母に厳しく育てられ、その反動で風俗に身を置いたマナ。母は正しい事を貫き、夫も追い詰めて離婚していました。

そののちの展開が、居心地の悪さを教えてくれます。「家族」とは、良くも悪くも一蓮托生、運命共同体です。幸せを掴むには、やはり「正しい」事の上に築いてこそ、揺ぎ無いものになるんじゃないかしら?正しい事に目を背けて築いた「家族」の末路は、悲惨なものでした。

私は血は水よりも濃しも違和感がありますが、疑似家族にも違和感がある。どうして「絆の強い他人」では、ダメなんだろう?血は汚いけれど、険悪の中であっても、一瞬で負を払拭してしまう力があります。他人にそれを求めては、いけない。血族であれ他人であれ、「家族」とは、努力と責任と覚悟で築くものだと思います。マナは実母からの逃避先が、「茶飲友達」と言う家族でした。マナには、責任と覚悟があったでしょうが、他の人は、誰一人覚悟はなかったのでしょう。ある人が、「自分の孤独を、他人で埋めるな!」と、マナを叱責します。一番孤独だったのは、マナだったんだな。

ラスト、マナを訪ねた人は、誰だったのか?どん底のマナの救世主として、この上なき人でした。家族とは、愛情と同義語で語られる事が多いはず。そこに辿り着くまでに、たゆまぬ努力が必要なのだと、改めて感じさせてくれた秀作です。家族は、決して寂しさの逃避先では、ありません。


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