ケイケイの映画日記
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2021年10月17日(日) 「MINAMATA―ミナマタ―」




すごく感動していました。そしたら、親愛なる映画友達の方より、被害者側より訴えられていたチッソ側を、かなり一方的な悪者仕立てに脚色しているとか。少しがっかりでしたが、よくよく考えたら、私が感動したのは、そこは関係ないなと思ったので、やっぱり伸び伸び素直に書こうと思います。監督はアンドリュー・レヴィタス。

1971年のアメリカ。高名な写真家のユージン・スミス(ジョニー・デップ)は、日本の会社のCMの仕事で通訳をしてくれたアイリーン(美波)より、熊本の水俣市で起こっている、工場から海に捨てられている有害物質で、たくさんの人が後遺症で苦しんでいる姿を写真に撮って欲しいと懇願され、水俣に渡ります。

スミスと水俣の関係は、当時私は子供でしたが、知っていました。しかし彼が元戦争写真家で、多分その事のトラウマにより、当時はアルコール依存症的になって、借金を抱えた荒れた暮らしをしてるのは、今回初めて知りました。

この作品で描かれている、チッソと被害者たちの軋轢は、大人になった今なら解りますが、当時子供だった私は賠償金の事など全く頭にありません、そしてその写真の数々に、痛々しさと共に、居た堪れない感情を抱き、正視するのが難しかった記憶があります。そしてこの作品を観るまで、それは遠い記憶で、水俣病の事は全く思い出す事もありませんでした。今も存命の方が苦しんでおられるのに、お恥ずかしい限りです。

今回スミスの実際の写真が何点か映され、その中に有名な「入浴する智子と母」もありました。その写真もその他の写真も、子供の頃に観た記憶と違い、今回私が感じた感情は「神々しい」でした。それはこの作品の世界観が感じさせたのか、私の人としての成長なのか、多分両方でしょう。ただ一つ言えるのは、スミスが水俣の人々に寄り添い、敬意を持って撮ったから、私の感情が生まれたのだと思います。呆けたような表情からは、痛ましさよりも純粋さと生命力を感じ、私はこの人たちこそ、神に祝福されるべき人だと、強く感じました。

チッソを極悪仕立てにした脚色は、スミスが写真家としての誇りに再び目覚める過程に、緊迫感を持たせるためだったのかと思います。映画的マジックですが、この手法に悪しき感情を抱く人の気持ちも解ります。でも私は、極悪チッソより、上記の感情の方が強く記憶に残っているので、手法としては成功だったと思います。

それともう一つ大切なのは、有名なライフ誌でスミスの写真が発表された事です。映画では世界中に水俣病が知れ渡り、その事が切欠で、チッソ側が出し渋っていた賠償金を払う展開になります。ここも脚色かも知れませんが、他国に正しく関心を持つ事は、その国で苦難を歩む人たちの助けになるのだと、痛感しました。それがジャーナリズムの本懐なのだと思います。

トム・クルーズやブラッド・ピットなど、同世代の俳優たちが、こぞって家庭には恵まれぬものの、ハリウッドのメインストリームで、今でも主演やプロデューサーとして、現役で頑張っているのに対し、デップは公私ともに凋落してしまい、これで終わるのかと思っていたら、見事な巻き返しでした。思えば彼は、長らく小品やサブカル作品のキングだったじゃないの。また昔のフィールドで、老いを身にまとったデップが観たいと思います。


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