ケイケイの映画日記
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2019年05月12日(日) 「ドント・ウォーリー」






障害を負った青年が、その事が転機となり、自堕落な人生から豊かな人生へと大転換する、「良いお話」です。ありがちな設定ですが、一つ間違うと平板に感じてしまう内容が、作り手の繊細で情感豊かな語り口で、心が満たされていく秀作です。実話であるのも、強力な後押しです。監督はガス・ヴァン・サント。

深刻なアルコール依存症の青年ジョン(ホアキン・フェニックス)。あるパーティーで初めて出会ったデクスター(ジャック・ブラック)の飲酒運転の車に乗り、事故に遭います。デクスターはかすり傷で済みましたが、ジョンは車椅子を余儀なくされます。絶望して更に依存症が加速するジョン。しかし、断酒のグループセラピーの主催者ドニー(ジョナ・ヒル)や、恋人となる美しいアヌー(ルーニー・マーラ)との出会いが彼の転機となり、漫画家となる夢を持ち始めます。

アメリカの実在の風刺漫画家、ジョン・キャラハンの伝記映画です。彼の事は知りませんでした。かなり辛らつな作風なのですが、絶妙なユーモア感ある。私が思わず笑ってしまったのは、「黒人で盲目ですが、歌は歌いません」。ジョンの下には、賛否両論のコメントが寄せられたそうですが、さもありなん。私が笑ったのは、もちろん差別を嘲笑したのではありません。これ、スティービー・ワンダーの事でしょう?黒人だからって盲目だからって、みんな歌が作れて上手いわけじゃないんだよ、と言う意味に取りました。ある意味これも偏見だから。

解りづらかったのは、「工事現場の警備はレズビアンが最適だ」の作品。解説は「レズビアンは男要らず。男を必要としない女を、男は恐れる」でした。お見事な風刺!かように、一見下劣で毒舌のようですが、鋭い感性と知性が隠されています。私も真意を解らず、中途半端に批判している時もきっとあるなぁと、自分を省みました。ジョンは「恥を知れ!」と罵る老婦人に、笑顔で対応します。自分の中で、ぶれがないからでしょう。

作品中アメリカの障碍者の状況が出てきて、興味深かったです。住み込みのヘルパーがいること。これが悪人ではないのですが、かなりいい加減な青年。月収があれば少なくても補助金から引かれる事。日本なら障碍者年金ですが、枠がありそれから出なければ引かれないはずです。この補助金は、税金からの生活保護費のようなものなのかも?自損事故の同乗者が障碍者になった場合、日本なら相応の保険金が下りるはずですが、それも出てこない。

医療のバックアップも違いがあります。普通のリハビリの他、性的維持に対して力を入れている事。セラピストは「私は勃起させるためにいるの」と仰る(笑)。もちろん医学的な見地からのアドバイスで、直接手を貸すわけじゃない。性生活が出来るか否か、人生に深く関る事だとの認識があるのでしょう。

アヌーも当初はコーディネーターかと思いましたが、それにしては服装が自由過ぎ。再会時には生業はCAで、想像ですが、ボランティアで話し相手として派遣されたのかなぁと思います。アヌーの「ハンサムさんね」「あなたのこれからの人生は、もっともっと素晴らしいものになるわ」の語りかけが、ジョンに一筋の光明をもたらします。やっぱりこの台詞は、美人に言われるのに限るね(笑)。

ドニー主催の断酒会の面々が個性的です。この存在感たっぷりのふくよかな女性は?と、目を凝らしてみると、これがベス・ディットー。過激な出で立ちの彼女しか知りませんが、極々普通の女性を演じているのに、辛らつですが暖かなオーラが出ていてました。何気に私の好きなウド・キアもいましたが、台詞は少なくても、そこにいるだけで存在感たっぷり(笑)。他の面々の話しも、過去の話をすることで、前に進みたい意思を感じます。

斜めに構え、全てを運の無さのせいにするジョンに対し、ドニーが畳み掛ける問答が素晴らしい。ジョンが何故自己肯定が低いのか、何故依存症になったのかが、解明されます。自分でも解っているはずなのに、露になるのが怖いのです。この問答は、誰が相手でも成立するわけじゃない。自分も人が知る以上の葛藤を抱えるドニーであるから、ジョンの胸に響いたのでしょう。

それからのジョンの行動が素晴らしい。今までのネガティブな自分に向き合い、それを捨て去るのは、何と勇気の要ることか。人とは自分が生まれてきたことに感謝する事まで遡らないと、自己肯定は生まれないのだと痛感しました。生後間もなく母に捨てられたジョンには、過酷な道程です。でもこれは実話。実話の重みをここでも強く感じます。

ホアキンは障害前の薄汚さと弱さと哀しさ、傷害後の絶望と怒り、そこからの奇跡の転換、そしてインテリジェンスさえ感じさせる立派な風刺作家になるまでの道程を、素晴らしい好演。生来のアクの強さを見え隠れさせ、ラストには爽やかな好青年で締めくくります。

私がびっくりしたのは、ジョナ・ヒル。偉く美しいじゃないの(笑)。気品さえあります。痩せただけじゃない、彼ってこんなに美形だったの?と意外な眼福でした。代々の資産家で、存在意義の見つけられない高等遊民のような生活が彼の心を蝕んだのでしょう。ゲイである事が拍車をかけ、世間から逸脱した人にしてしまったのですね。穏やかな強い人が見せる弱さには、共感しかありません。

ジョンより物凄く小さな事で申し訳ないのですが、私も丁度一年前、左膝の半月板が断裂しまして、怪我をした当初は、もう痛みから解放されない、普通に歩く人生を失ったと絶望しました。三日ほどですが(笑)。発奮してその後病院を替え、リハビリに励み、リハビリ終了後は筋肉強化のためジムで水泳のレッスンを受け、金槌だったのに、何とこの年で人生初めて25m泳げる事に!膝のため6キロほど体重も減らし(もっと痩せなきゃ!)、今は断裂前より体力も付き、手術なしで健康体を取り戻しました。今出来ないと言うより、止めているのは全力疾走(軽くなら走れます)と正座だけ。それ以外は、主治医の「洋風の暮らしを心がけ、痛みはなくてもサポーターを外さず、自分の半月板が割れていると認識を忘れず、後は普通にして下さい」の、指示通りの生活を送り、現在快適です。

怪我をしていなかったら、頑張った後についてくる充実感は、手に入らなかったものです。なので、過酷は人生を克服していくジョンの様子に自分を重ね、何度も涙ぐみました。私だけではなく、たくさんの人が状況を変え、ジョンに自分を重ねられるはずです。

障害を得て失ったもの以上に、得るものを勝ち得たジャックの大逆転人生は、万に一つの事例でしかないかも知れない。でも万に一つは、自分にも出来るかも知れないとの、大きな光明になるはず。ラスト、子供たちと遊び、車椅子から転倒しても、底抜けの笑顔を見せるジョン。是非たくさんの人に、輝く彼の笑顔を観て欲しいです。



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