ケイケイの映画日記
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2016年06月08日(水) 「団地」

上映後に舞台挨拶のある日曜日、観てきました。先に書いておきますが、私はこの作品大好きです。多分年末の私のベスト10にも必ず入るだろうと思う程好き。ですが!これ、トンデモです(笑)。まさかの〇〇。あぁそれなのにそれなのに。親愛なる映画友達の方によると、あのキネ旬でも評判が良いそうな。映画秘宝とちゃいまっせ(笑)。これはね、あっと驚く展開になる、それまでのディティールが、どれだけ丹念に描かれ、かつ味わい深かったと言う証拠かと。団地に暮らしてウン十年、そう私は現役団地妻。この団地妻と言う響きに、淫靡な郷愁のある大人の方、何のこっちゃ?と言うお若い方皆々様、どうぞご一読お願い致します。

ある出来事がきっかけで、営んでいた漢方薬局店をたたんで、古い団地に越してきた清治(岸部一徳)とヒナ子(藤山直美)夫妻。半年が過ぎた時、薬局時代顧客だった真城(斉藤工)がやってきて、どうしてもいつもの薬が欲しいと言います。宅配便でやり取りする話がまとまった矢先、今度は次期自治会会長に清治を推薦したいと、現自治会長・行徳(石橋蓮司)の妻・君子(大楠道代)がやってきます。しかし選挙結果は行徳が当選。いやいや立候補したようながら、密かに団地のためにお役に立とうと思っていた清治は傷ついてしまい、「もう僕は死んだ事にしといて」言い、床下収納庫に隠れてしまいます。やがて何週間も清治の姿を見ない住人たちは不審に思い、ヒナ子が殺したのでは?と言う噂が、団地中に広まります。 

私の住む団地は高層住宅でエレベーターあり。敷地もこじんまりとしており、一見すると普通のマンションのようで、知人に団地だと言うと、「えっ?あそこ団地やったん?」と、たいがい聞き返されます。ヒナ子の住む団地は5階建てのEVなし。昔はEVを付ける基準は6階建て以上でした。今は低層階住宅でもEVがあるので、そこから相当古い団地だと推測されます。間取りもうちとは異なっていますが、生態はだいたいあんなもんです(笑)。

実はうちもね、最近夫が交通事故に遭いまして、一か月半ほど仕事を休んだんですね。入院の必要なし、しかし安静と言うことで、病院に行く以外は、しおしおと隠遁生活の夫。その間、

「お宅の御主人最近みぃへんけど、元気にしてはるの?」と、あの人この人に何べん聞かれた事か。その度「ええ、元気にしてますよ。」とニコニコと、私も何回嘘八百答えた事か。夫の怪我はトップシークレット。だってこの作品と同じやもん。「実は・・・」と誰かに言ってみ?噂が尾ひれ羽ひれ付いて回る事必死やもん。

「あそこ(うちの夫婦)、なんかあったで。別居か離婚かしたんちゃうん?」
「そうか?仲良さそうやったやん?」
「そんな家こそ、危ないねん」
「どっちかが浮気したとか?」
「あっこ、旦那さん男前やし、奥さん可愛いし」(←これは私の妄想・ワハハ!)。

いやいや、上四行は、確実に言われてたね。だいたい仲の良い人は、そんな事誰も聞けへん。聞いてきた人は、ほとんど挨拶程度の人ばっかりです。そやから、「殺人やて、そんなアホな・・・」と全く思わず、あるあるこの展開!と、納得しまくりでした。また竹内郁子や濱田マリらの、大阪のおばちゃんの井戸端会議風景が、上手い事作品に溶け込んでいるんやね。噂を真実のように決めつけ、正義者ぶる者、振り回されて疲弊する者。その滑稽さを、ユーモアたっぷり、かつその奥に辛辣を滲ませて描いています。この光景、団地だけではありません。毎度お馴染み、ネットの世界ですね。

清治夫婦は、二年前に交通事故で一人息子を亡くしています。ちょっと暗いと、人から噂されていますが、そら当たり前やわ。事故は相手のトラックの不注意で、過密労働がマスコミで騒がれ、当事者の清治とヒナ子は、その喧騒に取り込まれてしまい、終わった時には「もう泣く事も出来へんかった」(清治)。

この人ら、充分泣いてないねんな。悲しんでないねんな。そしてぶつかってへん。子供を亡くした辛さ苦しさ、それをぶつける相手って、誰?もちろん加害者でしょう。でも加害者にぶつけても、その後には憎しみが募るだけやと思う。私、思うねん。ぶつけるなら、夫婦じゃないかと。この苦しみを同等にわかるのは、夫婦だけやねん。だから理不尽なようでも、こんな時夫婦は思いの丈をぶつけあい、大ケンカせんと、あかんねん。そこから本当に支え合う事が出来るんじゃないでしょうか?一度だけ、「あんただけが哀しいと思てんの?」と、大人しいヒナ子が夫に向かい声を荒げた時、そう思いました。

ぶつかる代わりに妻は店を閉めようと夫に頼み、夫は妻を気遣い、生き甲斐の店を閉め、林に毎日逃げる。お互いがお互いを思いやり、不満を持ちつつ毎日を過ごす。その突破口が、床下収納庫やったんですね。「僕はお前と薬だけあったら、もう何もいらんねん」と達観した夫を、私は世間の目から守っていると言う自負。そやからヒナ子は、生き生きしてきたんでしょう。

そんな夫婦に手土産のような話を持って、5000人分の薬を頼みにくる真城。真城さんて、けったいな人です。まず日本語が不自由(笑)。いつもポーカーフェイスで表情穏やかなれど、それしかない。この俗っぽい世界観から、浮きまくり。まるで〇〇人やんかと思っていました。真城さんの使いの宅配の兄ちゃん(冨浦智嗣)かて、三分経ったら、お腹壊すやなんて、あんたはウルトラマンか?と思っていたら、これ全部伏線ね(笑)。うぅ、苦しい!

漢方薬の丸薬は、あんな風に作るんですねー。不眠不休の夫婦の息の合った、そしてくたびれた様子が、夫婦の年輪を絶妙に表していました。

ここから怒涛の展開(笑)。舞台あいさつで阪本監督は、「直美さんを遠くに連れて行きたかった」と仰っていますが、藤山直美は「脚本読んだとき、とうとう監督、頭おかしなったんやと思いました」(場内爆笑)。それでも出演したのは、「私が映画に出るなら、阪本監督作品だけです」と、全幅の信頼を寄せているからだそうです。

この作品のテーマは、大事な人を亡くした時、人はどう思うのか、どう生きるのか?だそう。この言葉は鑑賞後聞きましたが、君子がヒナ子に、「負けへんかったでー!って、言うてやりや!」と言う台詞に、ふいに涙が出た私。誰よりも大事な子供を失っても、お腹がすくからご飯を食べる。そんな時、親なら何と私は浅ましいと、辛いでしょう。やがて苦しみは癒えなくとも、掃除して洗濯して、また誠実に日々を生きてしまう。それは哀しみに負けへん事なんやね。勝たんでもいいやん、いや勝ちたくなんかないわ。君子はそこをわかっていたから、「勝った」ではなく、「負けへんかった」と言ったんでしょう。

最後はキツネに摘まれたの如く、超びっくりしました。そうや、薬局の元お客さん(麿赤兒)、「もうじき三回忌やな」と言ってはった。真城さん「二日かかる」と言ってはった。そうやそうや、うんうん。「なんたら」を一万回くらいしたんやわ(観れば意味がわかる)。もうどっちゃでもええわ。嬉しいから、それでええもん。「観た人に、幸せな気分になって欲しかった」(監督)そうで、まんまと手の内にはまりました。

監督も主演女優も大阪出身と言う事で、ほんまの大阪を映したかったのだとか。「東京が描く大阪は、大阪ちゃうでしょ?あれは東京が自分の立ち位置のため、描いた大阪です」(直美談)。確かにきれいでも汚くもない、日常の大阪弁が会話され、おばちゃんたちは、誰もヒョウ柄を着ずとも、大阪感満タン。団地からは毎朝「ありがとう、浜村淳です」が聞こえてきます。地方地方に、「浜村淳」がいてるねんやろうなぁ。

藤山直美は、やっぱりすごい、上手い。普通のちょっと暗いおばちゃん役ですよ。それも、ちょっとどんくさい(笑)。それがねぇ、セリフ一つ一つ、所作の一つ一つが味わい深い、面白い。ヒナ子はね、社会的にはどんくさいかも知らんけど、家庭では丁寧でとても誠実な人です。家庭に置いては、愛される人なんですね。だから、家業である薬屋の時は、同じ仕事でも輝いていたと思います。このどんくささ、誰かに似ていると一生懸命考えていたら、「じゃりん子チエ」のヒラメちゃんやわ!と辿り着きましたが、この解説は、余計わからんかな(笑)。

直美以外も、岸部・石橋・大楠諸氏も、皆さん本当に味わい深い演技でした。直美曰く、「それは演技以前に、何回も冬を超え夏を超え、そうやって自分に備わった、そういうもんが演技以前に出たんやないかと。私らもみんな、そんな年になったと言う事ですわ」何と謙虚なお言葉。当日の彼女は、艶やかな黒の着物姿。気さくな物言い、低い物腰。オーラではなく、包み込むような貫録。皮肉ではなく、美を超越した女らしさで、本当に素敵でした。

清治はええ年して「僕」って、奥さんに言うんですよ。奥さんに「僕」と言う旦那さんは、大阪では少ないです。これだけで育ちの良さや優しさが的確に表れる一人称は、他にはないです。そんな清治を、岸部一徳も絶妙に表しています。斉藤工を藤山直美は知らず、「さいとう え」て、誰?状態だったのだとか(笑)。とぼけた演技が上手かったですよ、彼。石橋蓮司も、豪快なようでスケベで小心な善人っぷりが良かったし、大楠道代も、温か味のある演技で、ちょっと格上の大阪のおばちゃんを感じさせて貰いました。

全編笑いとペーソスで、ぐちゃぐちゃです(笑)。「こんなに映画で笑ろたん、久しぶりやで」とは、ロビーで聞こえた会話。同感同感。俗っぽいのに、高尚な気分にもさせてくれる、不思議な作品。真城さんのとある言葉、是非聞いてね。現世を生きる極意です。


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