ケイケイの映画日記
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2016年02月12日(金) 「キャロル」




素晴らしかった。男性の同性愛を描く作品では、私は「シングルマン」が一番好きですが、女性ではこの作品が一番。女性同士の愛を描いて、いくつかのパターンがありますが、私が一番観たかった、女性が女性である、有りのままの恋愛が描かかれていて、とても感激しました。原作は「太陽がいっぱい」のパトリシア・ハイスミス。監督は「エデンより彼方へ」もとても好きだった、トット・へインズ。

1952年のクリスマス。高級デパートのおもちゃ売り場で働くテレーズ(ルーニー・マーラ)は、娘のプレゼントを買い求めた美しくエレガントな女性に、一目で心奪われます。その女性はキャロル(ケイト・ブランシェット)。夫(カイル・チャンドラー)とは、もうすぐ離婚だとキャロルは言います。テレーズがキャロルの忘れた手袋を自宅に送った事から、二人の交際は始まり、やがて恋愛に発展していきます。

ケイト・ブランシェットがクールな気品と風格に溢れた、圧巻の美しさ。豊かなブロンドに、エレガントなファッションが絶妙にマッチしています。毛皮のコートや、深紅のリップに真っ赤なネイルは、人によっては単なる下品な装いになるのに、このゴージャスさ。これはキャロルの内面が装いに勝っているからです。

対するテレーズは、将来の夢はカメラマン。パンツスタイルもスカート姿も、いつも清楚な装いながら、さりげなくロマンチック。テレーズからも、彼女の純粋さや若々しい乙女心が感じられます。ファッションで二人の内面を浮かび上がらせ、秀逸です。

二人の逢瀬が始まってからしばらくは、テレーズが「初めての恋」にときめき恥じらう様子がこちらに伝わります。それを豊かに包容するキャロルの様子に、こちらまで緊張してしまい、もうため息ばっかり。テレーズは異性の恋人がいますが、その事に素直になれず違和感を感じています。その違和感を、若い頃から隠そうとしなかったキャロルですが、結局は結婚している。

パーティーでキャロルに、顔見知りの年配の夫人が、「夫が来たら教えてね。」と隠れて煙草を吸う姿に、「生活費が減らされる?」と軽口を叩くキャロルですが、これは本音なのでしょう。上流階級である彼女たちは、経済的に夫に寄生する人生しか、選択肢がなかったのだと思いました。煙草一つ自由に吸えない。対する庶民のテレーズは、自活の道を夢を持ち歩んでいる。持てる者の不自由さ。キャロルも始終煙草を吸いますが、それは安定剤代わり。窮屈な暮らしに対する、彼女の捌け口だったのだと思います。

子もなした長年のレズビアン夫婦の、倦怠期の紆余曲折を描いた「キッズ・オールライト」、狂おしい情念に、こちらまで焦がれた「アデル、ブルーは熱い色」が、私は大好きなのですが、この二つに共通していたのが、経済的に優位に立つ方が、夫のように振る舞う事。そして「妻」の方は、ストレートの私たちと同じように嘆き苦しみ、男と浮気するのです。これは男性同士では描かれないパターンです。

ところがこの作品には、それがない。どちらかが男になるのではなく、美しい女性同士の恋愛でした。柔らかな肌の者同士の触れあいを感じるセックスシーンと、いたずらっぽく女同士がお化粧するシーンが、同系列に恋する二人として描かれ、私の中でとてもしっくりくるものがありました。

「心に従って生きなければ、人生は無意味よ」とは、キャロルの言葉。この言葉に辿り着くまで、キャロルはどんなに傷つき、疲弊してきたことか。最愛の娘まで取り上げられ、それでも自分は偽れないと決心するキャロル。どんなに娘を愛しているのか、丹念に描いていたので、自分が自分を欺く事の辛さとは如何ばかりかと、同性愛以外の差別にも、考えが及びます。美しい恋愛映画であると共に、ここが描ききれている点が、この作品を唯一無比の作品にしたのだと、思います。

とにかく主演の二人が秀逸。ブランシェットの圧巻の役作りもさることながら、頭の先から爪先まで、恋する乙女の狂おしい情感を表現した、ルーニーも素晴らしい。オスカーの主演女優賞は、二人ともって言うのは、ダメかな?

何かのアンケートで、同性愛者の比率が増えている、と読みました。それは昔口に出来なかったのが、言えるようになったからでは?テレーザのように、異性間の恋愛に違和感を持っていた人々が、自分の思いを解き放ったからかも。比率が増えた事を夫に話すと、ますます増えたら、人口はどうなる?と言います。確かに。でも心配召さるな。だってあなたも私も、同性とセックスするのは、無理でしょう?だったら、彼ら彼女らも、異性とのセックスは無理なのです。恋をするのに理由はいらない。属する世界も性別も超越させてしまうのです、きっと。キャロルとテレーズのように。



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