ケイケイの映画日記
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2014年01月12日(日) 「ハンナ・アーレント」




やっと観ました。映画好きとしては、絶対に外せない作品とわかっていながらも、重厚に重厚を重ねていそうな内容に腰が引けて、延び延びになっていました。しかし実際に観ると、意外と言うか、重厚さはあまり感じず、「面白い」が先に立つ作品でした。もちろん一般的な娯楽作の面白いとは質が違いますが、人の心理を描くと言う視点からは、本当に面白い作品でした。監督はマルガレーテ・フォン・トロッタ。

1960年初頭、ユダヤ人哲学者のハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)。収容所経験もあるハンナは、現在夫のハインリヒと共にニューヨーク在住です。逃亡中のナチスの重要戦犯アイヒマンが、イスラエルのモサド(諜報部)に捕まり、イスラエルで裁判にかけられる事になります。彼女は自らニューヨーカー誌に、レポートを書きたいと申し出ます。裁判を傍聴した彼女は、思考停止の中アイヒマンは、命令に従っただけの凡庸な悪。そしてナチスに協力したユダヤ人もいたと、レポートをまとめます。しかしこのレポートは、ユダヤ人社会から、激しいバッシングを受けます。

観る前は、自分の信念の忠実な女性哲学者の姿を真摯に描く作品と思っていました。それは当たっていましたが、それ以上に、ハンナと言う人が面白かった。

ガチガチの堅物で近寄りがたい鉄の女と思いきや、まず中年男性の魅力いっぱいの夫に甘える仕草の「上手さ」に、ちょっとびっくり。若かりし頃のボーイフレンドたちは、今でも民族愛で結ばれ交流がある。失礼ながら、外見は普通の中年婦人ながら、モテモテです。他にもアメリカで知り合った女流作家メアリー・マッカシー(ジャネット・マクティア)とは親友付き合いだし、秘書のロッテは娘同様で、男女分け隔てなく人気がある、人たらしぶり。これは彼女の英知や頭脳だけではなく、人柄にも魅力があるのでしょう。そして私が注目したのは、ナチス党員と知りながら、学生時代、恩師ハイデカーと不倫関係にあった事。

ハンナはとにかく煙草を始終吸います。依存症に如く。あれは収容所の恐ろしい体験の記憶から、自分を隔離するための安定剤代わりなのだと思いました。当時も薬物やアルコール依存はあったでしょうが、賢く強い彼女は、その果てを知っていたはず。だから煙草なんだと思いました。逃避場所を作ると言うのは、弱さも持ち合わせているとも言えます。

そして優秀な頭脳と分析力。信念を貫く強固な意思の持ち主。私の目に映るハンナは、実に多面性を持った女性でした。自分自身が幾つもの心を持ち合わせていたから、アイヒマンの冷酷な行動の別の顔も、想起出来たのではないでしょうか?彼女自身、当時ハイデカーとの不倫は、思考を停止して、感情に溺れた結果だったのでは?

私がびっくりしたのは、自分のレポートがバッシングを受けるとは、想像出来なかったと言う件。ちょっと笑ってしまいました。だって当たり前ですよね?
この世間知らずの無邪気さを、夫やメアリー、ロッテは、愛したのでしょう。彼女はアイヒマンを擁護したのではありません。事実からの、彼女の冷静な感想を述べただけ。しかし、それを読み取る理性より前に、ユダヤ人たちには、感情が先走ったのでしょう。これも無理からぬ事だと思いました。バッシングの手紙の罵詈雑言に涙する彼女には、親近感を覚え、「思考を停止すると、平凡な人の誰もが、悪となり得る」と言う彼女の説に、真実味を感じます。

ラスト近くの、学生たちを前にした彼女の、揺るがぬ信念を感じる演説は圧巻。表舞台のハンナ・アーレントです。ここで終わると思いきや、講義を聞きにきた親友ハンス(ユダヤ人)に、自分の真意が伝わったと思い、笑顔で駆け寄る彼女に、ハンスは絶交を申し渡します。もうひとりの親友クルトからも、同じ仕打ちを受ける彼女。

あぁそうかぁ、と納得する私。ハンナの講義に万来の拍手を送ったのは、アメリカ人学生です。戦争もナチスも知らない若い外国人たち。ここに、歴史から学べと言う意味があると感じます。苦い過去を繰り返さないため、ハンナのレポートは重要です。しかしあの時代は、まだ生々しくナチスの蛮行の傷跡を持つ人たちが、証人として大勢いた時代です。冷静に思考しろと言っても無理な事。ハンナの落とし穴は、人と自分は違う。その単純な事に気づかぬまま、自分の言動が多くの同胞を傷つけたと、思い至らぬ事だったのではないでしょうか?

ハンスの言葉で、傷ついたのは自分だけではないと、彼女は初めて思い知ったのでしょう。彼女が終生「悪の凡庸さ」をライフワークとして探求し続けたのは、どうすれば同胞にこの想いが伝わるか、贖罪の気持ちがあったのではないか?私は信念より、そちらを感じました。

歴史というのは、その時々に様々な立場の人の感情が入り乱れ、事実だけを見るのは難しい事です。ネットを読むと、まるで自分がその場に居たかのような記述に、危険なものを感じます。歴史に真実はなく、あるのは事実だけ、バッシングに耐え、信念を貫くハンナは、それを教えてくれたと思います。



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