ケイケイの映画日記
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2014年01月09日(木) 「セッションズ」




本当に本当に感動しました!画像は主役のマーク・オブライエンを演ずるジョン・ホークス。障害者のセックスと言う、如何にもキワモノ的な題材ですが、品良くユーモアたっぷりに作っており、共感こそすれ、居心地の悪さはまるでありません。性と生は根源的に深く関わっていると再認識させてもらい、そして最後には、主人公に感謝したくなります。終映後は、あちこちで拍手が起こりました。監督はベン・リューイン。実話を元に作ってあります。

38歳のマーク・オブライエンは六歳の時にポリオに罹り、首から下が麻痺し、ベッドに寝たきりの生活となります。両親はしかし、彼を施設には預けず養育。本人の努力と相まって大学を卒業。詩人件ジャーナリストの職を得て、今はヘルパーの力を借りて自活しています。ある日出版社から、障害者の性についてレポートしてくれと依頼され、引き受けるマーク。そこで自分が童貞である事実を突きつけられ、セックスセラピーを受けたいと思い出します。相談を受けた懇意のブレンダン神父(ウィリアム・H・メイシー)は、困惑しながらも、神父としてではなく、友人としてなら応援すると承諾を得ます。カウンセラーに紹介されやってきたセラピストは、成熟した人妻のシェリル(ヘレン・ハント)でした。

冒頭ユーモラスにマークの生い立ちを説明。苦労を忍ばせない、のんびりした解説ですが、目の前には鉄の肺と呼ばれる機械に入っているマーク。一日の大半を過ごさなければ、生きていけないのが現実です。

傍若無人なヘルパーをクビにして、次にやってきたのは若くて愛らしい、介護経験のないアマンダ(アニカ・マークス)。慣れない手つきで、一生懸命介護してくれる彼女に、マークは恋します。アマンダも障害に負けず、知的でチャーミングなマークにすっかり心酔。しかしそれは、人としての敬愛でした。マークが愛を告白すると、彼女は困惑の表情と哀しい涙を残し、去っていきます。

次に来たのはプロの介護士の中国人ヴェラ(ムーン・ブラッドグッド)。無愛想で取っ付きにくい彼女ですが、陰ながらマークを支えており、二人は親睦を深めます。思うにヴェラも新人の頃はアマンダのように、クライアントの障害者に感情移入し、苦い涙を流したのでは?彼女の化粧っけのないひっつめ髪、女性を強調しない服装は、クライアントを誤解させないため。介護とは、透明な壁を一枚作り、相手をよく観ながら平常心を保つ事が大切なのでしょう。

麻痺はしていても、マークの体には感覚はあります。神父との会話で、「介護してもらっている時に、ふいに射精する事がある。屈辱だ」と言います。これはそうでしょう。男性の下半身は意思に関係なく反応してしまいますもん。とても同情しましたが、これはマークが健康な男性機能を持っている証でもあります。

セラピー当日、ヴェラにあれこれ尋ねて、落ち着かないマーク。出来れば逃げ出したい。自分で言い出したのに(笑)。強引に後押しするヴェラ。神父には「怖い」とも語っています。でもこれもとてもわかる。未知の世界は誰だって怖い。怖いもの知らずなのは、無知だからです。でもマークはインテリジェンス豊富なのです。射精は出来ても、セックス出来なかったら?それは不完全な彼に、更に追い討ちをかけることです。

初回のセラピーの最中は舞い上がってしまい、暴言・失言続出のマーク。お互いに裸になり、シェリルに触れられるだけで、あえなく射精。いや〜、そんなもんですよ、童貞だもの(笑)。でもその時、「裸の人が横にいるのは不思議だ。いつも僕だけ裸だから」と言う言葉に、胸を突かれます。排泄・入浴・着替え。常に羞恥との戦いなのでしょう。自分だけが裸でいるのは、人としての尊厳を奪うことなのですね。そっけないヴェラの様子は、思いやりなのです。このように男女の営みを、ユーモアとペーソス織り交ぜて描き、絶妙です。

セックスはお互いが快感を得ないといけないと思い込むマーク。知識は本から(笑)。シェリルやヴェラから、分析するなと嗜められます。そうですよね、こんなもんは、まず当たって砕けろ精神の方が大切。でもマークの意見は愛のあるセックスの基本です。

マークの切なる願いが叶えられた時の描写が秀逸。事後、満ち足りたてキスを交わす、障害者の青年と中年女性の笑顔は、今まで観たたくさんのセックスシーンの中で、一番美しく愛に溢れていました。自分勝手なだけのセックスは、ただの排泄行為でしょう。相手にも感じて欲しい、その思いやりの気持ちが愛を育むのだと、私は思います。

セラピーは6回限り。同じクライアントとは接触しない。踏み込んだ感情を持ってはいけない。シェリルが出した切ない提案は、二人の良き「セッション」を破綻させない為だったと思います。セックスの後の彼女の笑顔は、セラピストとしてではなく、女性としての笑顔でした。透明の壁を蹴ってしまいそうになったのですね。肌を重ねる事は、理屈ではなく、男女の距離を急速に近づけるものですから。

シェリルは上品で知的な素敵な女性です。それが何故このような仕事をしているか、想像しました。夫は働いていませんが、良人のようです。同じベッドで寝ていて、スキンシップもあるのに、セックスの場面は出てきません。妻の仕事は知っていて、聖母のようだと賛えます。う〜ん(笑)。「夫を愛している」「セックスが好き」と語る彼女。夫は病気か何かで、仕事やセックスが出来なくなったのかも。子供もいるし、大黒柱として生計を立てる為の仕事かと思いました。妻に送った素敵なマークの詩に、夫が嫉妬した事は、何か救われたような気がしました。

ここまでも充分秀作だと思っていた私ですが、その後の怒涛の展開に、本当に大感激。気にかかる女性に、「僕、童貞じゃないんだよ」と、いたずらっぽく笑うマークに、あの劇場にいた観客全員が、微笑ましくクスクスと笑ったはず。しかしこの言葉は、彼の人生で欠落していたものを、埋めたのでした。

男女が愛し合えば、肉体的に結ばれたいのが当然です。言われた人は、マークが障害者であると共に、男性としても認識してくれるでしょう。シェリルとセックスした事は、マークに男性としての誇りをもたらしたのですね。

人間とは、全ての人が欠落した何かを抱えているものです。それは、銀の匙をくわえて生まれてこようとも、同じ。自分を完全無欠だと思っている人は、ただの思い上がりです。努力しても改善できない時は、誰を恨むでもなく、受け入れるのです。諦めは絶望に繋がるけど、受け入れる事は、希望を失わない事、出来る事を探す事でもあります。

絶対絶命のピンチに立った6歳の少年は、途方もない年数をかけて、ひとつひとつ、人としての誇りを得ていく。教育を受けて、職を得て自活し、恋をし恋に敗れ、人妻をよろめかせ、そして・・・。立派な男としての人生ではないですか。この作品は、障害者の性を描きながらも、根源的な人としての在り方を学ばせてくれるのです。

ホークスは実年齢ではヘレン・ハントより上なのですが、若々しくてびっくり。とにかく少年のように瑞々しく、チャーミング。ネバネバした特有の後遺症を感じさせる台詞回しも、愛嬌に感じるほどです。すっかり魅了されました。ハントは半分は全裸です。年齢から思えば、とても勇気のいる役です。彼女の知的で清潔感のある役作りも、作品をキワモノから救っています。
ロックな神父さん、メイシーも、人間臭くて良かったし、ブラッドグッドのクールビューティーぶりも素敵でした。

大昔、知的と身体に障害を持つアメリカの女性が、24時間介護を付けて、ひとり暮らししている様子を、ドキュメンタリーで観ました。彼女の生活をコーディネートしている福祉関係の男性が、「こんなに重度の障害を持っていても、一人で自活できる。人間とは強いものだと学ばせて貰って、彼女には感謝している」と答えて、私はびっくり。当時の私は、彼女は偉いけど、人の世話になっているとしか、思えなかったから。

長い年月を経て、彼の言葉は本当だと、やっと納得しました。マーク・オブライエンの愉快な人生は、私に人としての誇りを失わなかったら、人生は切り開けるもんだよと、学ばせてくれたのです。そして人生とは愛だ!と、大声で笑顔で叫びたい気分です。私はこの作品に感謝しています。


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